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まあまあの一年だったが


今年も大晦日を迎えました。
風邪2度、腹こわし2度、年齢とともに免疫力が落ちてきたように感じますが、結果的には、気分良く年末を迎えることが出来ました。
まあまあの一年であった、と言うことが出来ましょう。

パラダイムシフトを感じる一年でした。

英国のEC離脱の決定、米国の新大統領に選ばれたドナルド・トランプ氏の登場、経済面で打つ術のない中国、経済減速に見舞われているその他の途上国、全ての解は、来年以降になります。
統治能力の喪失が明らかになってきた隣国韓国の混乱は、小さなことではありません。東アジア情勢全体に大きな影響を与えます。

日本経済も活力を失っています。

天皇陛下のご退位を巡る問題も、この国にとっては大きな問題です。政争の具に持ち込まないことを願っています。国体に大きな変化をもたらさない解決が寛容です。
何方かが、Constitutionを憲法と訳すのは間違いで、国体とするのが正しいとされていましたが、賛成です。
議論の仕方によっては、今上陛下や皇室の問題だけではなく、憲法全体にも影響を与えます。時間をかけてじっくり考えなくてはなりませんが、憲法や皇室典範の改正は避け、差し迫ったご高齢の今上陛下に限って議論することが賢いと思います。

このブログも、振り返ってみると、更新回数も少なくなり、中身もトロッとしてきました。
変化の大きい時代に入って、情報収集しても、それを消化する能力が追いついていないことを感じます。

そのような中でも、毎日訪れて下さっている方々には、心より感謝申し上げます。

一年間、どうも有り難うございました。
皆様、良いお年をお迎え下さい。
| 身辺雑話 | 09:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
真珠湾攻撃から75年

(安倍首相は本日のスピーチに先立ってオバマ米大統領とともに戦死軍人の名前が刻み込まれたアリゾナ記念館のこの壁に向かって花を捧げた)

この12月8日で、日本軍によるハワイ真珠湾攻撃から75年になりました。
本日、安倍首相はオバマ米大統領とともに真珠湾を訪れ、戦死者を慰霊とともに、日米の寛容と和解による希望の同盟をたたえる演説をしました。(演説全文かこちら)

昨年12月8日のブログ
<昭和16年(1941年)12月8日、日本海軍の真珠湾攻撃によって太平洋戦争の火ぶたが切って落とされました。私は、3歳と9ヶ月でしたが、この周りの興奮は何となく覚えています。
甲高いラジオの声、大人たちの複雑な様子の中で、絵本などで見ていた戦争が始まることに子供心に刺激されていたのだと思います。>

と書きました。

昭和42年(1967年)10月、官民合同の「流通機構調査団」の一員として、初めての外国の地であるハワイに着きました。ホノルル空港からワイキキまで乗ったタクシーで日系人のドライバーが
<気がつくと、日の丸をを付けた飛行機が真珠湾めがけて飛来し、攻撃して帰って行った。ホノルルの街は攻撃されず、非常にきれいな攻撃だった。>
と誇らしげに話してくれました。(平成23年(2011年)12月8日)

そして同じ日のブログには、
<それから5年後、ビジネスでホノルルに数日滞在している際に、12月8日を迎えました。
大勢のSURVIVAL PEARL HARBOR と横に書かれたネイビーの帽子をかぶった人たちが、多くは夫人連れで集まってきました。土地の人に訊くと、毎年この日にはこのイベントがあるようでした。
トラブルは避けたい、という気持ちでおとなしくしていました。
そうは言っても、ホテルの部屋にこもりっきりは難しく、ある晩、モアナホテル内バーCaptain Cookのカウンターの隅で静かに飲んでいました。すると、彼らの一団が入ってきて、ピアニストにリクエストしながら、歌を歌い出しました。大声で、それぞれお国の歌を歌って楽しんでいました。
実に屈託のないアメリカのおじさん、おばさんたちでした。トラブルを心配することもありませんでした。

報道によると、当初は、2万8000人のSURVIVALSがいましたが、今年の式典に参加したは120人で、この生存者協会は、今年で解散するそうです。
一つの歴史が幕を閉じようとしています。>

とあります。

そして、本日の安倍首相によるオバマ米大統領とともに行った慰霊と演説によって、日米戦争のわだかまりに終止符を打つことが出来た、と思いたいところです。

安倍首相の行動は、来月退任するリベラルなオバマ大統領へのはなむけにもなるでしょう。
| 歴史 | 12:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
北方四島ソ連強奪なかりせば

A.歯舞諸島(歯舞群島)、B.色丹島、C.国後島、D.択捉島
1.色丹村、2.泊村、3.留夜別村、4.留別村、5.紗那村、6.蘂取村(Wikiより)


我が国がポツダム宣言受託し終戦となった後に、ソ連は、1855年の日露和親条約(下田条約)により択捉島と得撫島の間を国境線と定めて以降、我が国固有の領土であった北方四島を占領し、その状態が今日まで続いています。
今回の安倍、プーチン会談でも、領土問題に関しては明確な進展が見られませんでした。

四島終戦時の人口は、約17000人と言われています。
その全員が、ソ連によって日本へ送還させられたそうです。従って現在は同胞が一人もいない島々となっています。
ソ連は、島々の占領と、日本人を全員排除するという完璧な領土獲得でした。
領土返還を叫んでも、日本人が全く居ない島々を返せ、というのは迫力がありません。
ただ、島を帰せ!では絶対に弱いです。

現在四島には、約18000人のロシア人が居住しているそうです。
映像を見ても新しい施設や住宅があって、北海道の港町に比べて活気のようなものが見えます。

もし、日本がこの島々を引き続いて領有していたらどうなっているかと思います。
我が国は、人口減少下、地方創成に苦労していますが、厳しい気象条件の下での離島生活で、豊富な漁場に恵まれているとはいえ、何人の人たちが頑張ってくれていたでしょうか。

因みに、四島の玄関口である根室の人口を調べてみました。
町村合併などがあってよく分かりませんが、戦後の根室市人口のピークは、昭和40年(1965年)の49446人で、その後減少が続き、平成27年(2015年)には、27629人に減少しています。
50年間で44%の減少です。
もちろん有力な漁場である四島を失ったこともあるでしょうが、北限の都市の厳しい現実です。

漁業およびその関連だけではないよ、との指摘もあるでしょう。
今回の共同経済活動の話もありますが、これらの北の離島に、誰が行って、何をするのでしょうか。
北海道の失業率も高い中で、考え込んでしまう問題です。

札幌で老後を送ることを決断し移住した友人がいます。
寒いだろうと思って、必ず北海道の天気を気にして見ています。
友人曰く、札幌より東京の方が寒いそうですが、北方領土の辺りは、冬期には台風並みの強烈な低気圧が居座っていることが多いです。そして、夏期は海流の関係で、濃霧が発生することが多いと聞いています。
決して住みよい場所ではないだろうと感じます。

ソ連時代に、モスクワで先方の政府高官と話したことがあります。

「日本で北方領土に拘っているのは外務省だけ、大蔵省も、通産省もそんなことは言っていない。」

と言っていました。

日露平和条約は必要です。このエントリーでも強調しています。
四島を百年後にでも取り返す手がかりを得られれば、決断しても良いのではないかと思っています。

安倍首相は、そのために我慢強く頑張っているのではないでしょうか。
| 歴史 | 17:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
「中国の論理(岡本隆司)」で整理が付いた

(2002年南京中山稜にて)

サラリーマン時代には、何かと欧米、南米などには縁がありましたが、アジアには全くブラインドでとても気になっていました。
ビジネスを卒業して、真っ先に韓国、中国、インドに旅行して空気を吸ってきました。

その後、中国の台頭は著しことはご案内の通りであります。
国際社会との軋轢も増えてきました。

国際社会の考え方と、中国の考え方が異なることが段々と鮮明になってきました。
私は、中国の国や社会について、漠然とした考えを抱いていましたが、10月にFBで、櫻田淳氏による「中国の論理(岡本隆司)」について、次のような紹介がありました。

<本書は、京都大学東洋史学系の「中国理解」の伝統を佳く反映した書と評すべきであろう。
「眼の前の中国」に向き合うためにも、こういう書は、きちんと読んで置いた方が宜しいと思われる。書中、印象深かったのは、中国史を貫く儒学思考の圧倒的な比重であり、「士と庶」、「華と夷」を厳密に区別する意識の強さである。無論、こうした特徴は、折々に修正が図られる局面が訪れるのであるけれども、それは、程なくして元の木阿弥となる。日本は中々、「難しい」世界と隣り合っているものだと実感する。>


読んでみると、私が感じていたことを学問的にきちんと解明してくれていて、様々な示唆に富んだ本でした。
孫文も、日本の近代化から学んで、中国にチャレンジしたが、辛亥革命などの革命は長続きはしませんでした。櫻田氏が指摘するように、巡り巡って、元の木阿弥になった結果が現在の中国共産党政権でした。

欧米は、中国が発展して豊かになれば、人権などを重視した民主的な国家になると信じて接触していたようですが、そうではない、と気づきはじめたように見えます。
何しろ莫大な市場に眼が眩みがちな対象ですから、無理もないように思いますが。

日本は、共産党政権に対して、献身的な経済貢献をしてきました。
しかし、外交的にはそれが生きていないことを身にしみて感じています。先進国のフロントに位置することもあって、現政権は、いち早く中国の本質を実感していました。

ただ、政権が変わると、甘い蜜に心を奪われ、判断を誤る指導者が出てくるかも知れません。
危ない! 危ない!
| 歴史 | 10:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
君の名は。


映画「君の名は。」を観ました。

私は、ほとんど映画を観ません。
しかし、この映画の評判が余りにも良く、アジアや中国でもの凄い受け方をしている、と報道されているので、今の世相を垣間見るつもりで映画館に向かいました。
平日の午後であったためか、ほとんどがシルバー料金ではないかと思われる観客で、40%くらいの入りでした。

TVで監督は、
「何故この様に受けたのか?」
という質問に対して、
「ストーリーだと思います」
といっていたように記憶していますが、私のような老頭児(ロートル)には、そのストーリーが難解でした(笑)。

ファンタジックな高校生のラブストーリーが、都会と田舎のコントラストのなかで進み、避けようもない天災をしっかりと真ん中に置いています。
美しい都会と田舎、彗星など画像はは素晴らしいものでした。
都会の大人は全く登場せず、登場する大人は少女の家族を中心に、田舎の人だけです。それがこの映画に落ち着きを与えています。

私が高校生の時に、「君の名は」が、国民的なTVドラマでした。戦後の混乱が背景にありました。
時代が変わったことを感じます。

馬齢を重ねている間に、現実を見過ぎたのでしょうか。
これを見て涙を流す人たちとは、全く違う世界に置いて行かれてしまったのでしょうか。
複雑な気持ちで映画館を後にしました。

| 身辺雑話 | 17:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
年賀状準備の時期

年賀状の準備にかかる季節です。
毎年年賀状を交換していた人から、年賀欠礼状が届くのもこの頃です。
同世代の人からの親の逝去に伴う知らせは、さすがに減ってきましたが、本人もしくは配偶者の他界に伴うものが増えてきました。いずれにしても、その方々の生活の変化を知らせていただいたもので、しっかりと記録しておくことにしてます。
友人の奥方から、ご丁寧に欠礼の挨拶を戴くと、改めて今年この世を去った人を想い偲ばされます。

先輩方を中心に、今後年賀状を出状しないとする連絡を貰っている人も増えてきました。
それでも、お元気なことが分かっていて、日頃お世話になっている方には、こちらからはお送りさせています。

何年もお会いしていない方との年賀状交換は、お互いに元気であることの知らせともなりますので、続けたいと思っています。

PCが使えるようになって、最初に買ったアプリが年賀状ソフトだったように思います。
これによって、年賀状作成、管理が格段に簡単になり、昔のような年末の奮闘は必要なくなりました。むしろ、年賀状作成が楽しみの一つになってきました。この歳になっても多くの友知人との年賀状によるご挨拶を続けていられる所以です。

年賀葉書の販売枚数が減ってきているようですが、様々なコミュニケーションツールを使いこなす年代層には、徐々に年賀状放れがおきることが想像できます。
私たちの世代が少なくなると、年賀状も少なくなってくるのではないかと思います。
| 身辺雑話 | 12:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
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