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最悪の事態は中国の日本に対する核使用
送信者 橘フォト11

あまりそういうようなことは考えたくありませんが、これまで世界史を支配してきたのは、経済力、軍事力の二つのパワーではなかったでしょうか。それに付け加えるとすれば、この20〜30年流行している言葉ソフトパワーで表される文化力でしょうか。
日本は、経済力では米中に続く3位ですが、EUを一つのユニットと考えれば、第4位になります。
軍事力では、専守防衛の考えで見れば、海軍力な世界第2位、空軍力もアジアでは米国に次ぐ力があります。しかし、本当の軍事力で見れば、非核国家であり、憲法などの制約もあり、2流国家であると考えなければなりません。
ソフトパワーを採ってみれば、一流に近いところまできているのではないかと思います。

欧米のキリスト教国家同士が、中世から近世にかけて、戦争を繰り返し、戦争疲れの結果、国家同士の衝突を避けるルールとして国際法が発達しました。
第一次大戦後に国際連盟、第2次大戦後に国際連合が作られましたが、欧米中心にできあがった国際法のルールを世界に当てはめようとしたものです。
国連の現状を見ても、世界の平和維持には、有効な役割を果たすことができない側面が多々あります。

第2次大戦後は、米ソの冷戦期、米国の世界の警察官期を経て、現在は、ウクライナを巡る欧米とロシアの対立、中国の膨張による米日、印豪などのアジアアジア大洋州国家との対立、本質的には対立の中露の関係、キリスト教社会と同じように終焉までは相当な時間を要すると思われる中東に於ける宗教戦争などユーラシア大陸のブロック対立が起こっています。
背景には、世界経済の成長鈍化があるのだと思います。どのブロックの経済も思うようには行っていません。

現在、モディ印首相が来日中で、日印の幅広い関係が強化が期待されています。
近く、インドの人口が、中国を追い抜くであろうといわれています。世界経済の停滞で、経済面では苦労していますが、将来は、中国に迫る存在感になると思います。
この国は、核保有国でもあります。
このインドと、友好関係を深めることは、当面のことはともかくとして、日本の将来にとって大きな意味を持つことになると思います。
旧英国の植民地であったことから、基本的な国家観が理解しやすいこともあります。
日本も漸くここまで来たか、という感慨を持ちます。

上にに述べたように、世界が新しい実力主義の時代に入ったと思われる中で、欧米が造り上げ、日本が必死になって学んできた世界のルールに挑戦する行動が世界の随所に見られれます。
ウクライナ、中東、東シナ海、南シナ海などです。
恐らくインド洋でもそのような状況があるのだと思われます。

日本が直接感じる軍事的脅威は、言うまでもなく中国のそれです。
通常兵力では、日本の軍事力は、単独でも中国を上回ると思われますが、昨今の中国空海軍の冒険的行動を見ていると、軍事的衝突になると、核兵器を使用されるリスクがあります。

日本の地方都市に原爆を落として、
「広島、長崎に米国も落としたではないか、これがどうかした?」
という論理を使うかもしれません。
恐らく米は、反論できないでしょう。
これが、最悪のシナリオです。

核兵器を使わせないことができるのは、核保有国同士の牽制です。
核保有国と、広く友好関係を持つことは、核兵器使用防止の抑制にはなるように思えます。
その点に限って言えば、中国が、軍事的冒険国家の性格を持ち続けるのであれば、将来、日本の核武装も検討されることになるでしょう。
そうしないことは、政治として無責任だ、という事態が到来する可能性があります。
| 政治、外交 | 20:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本国憲法の最も基礎をなす考え方
送信者 橘フォト11

暑かった夏もようやく秋の風情を感じるようになりました。
例年8月は、その半分以上を茅野の小屋で過ごし、広島、長崎の原爆の日、終戦記念日などの行事をTVで見ながら、当時の記憶を呼び起こして過ごしていました。
原爆や、戦争の悲惨さを語り継ぐ、不戦の誓いを確認する、ということに重点を置いた放送や、記事が続きます。

戦前と戦後で、日本は何が変わったのだろうか、この当たり前のことが忘れられかけています。

一番大きな点は、帝国憲法では、主権が天皇にありました。
国民は、天皇の臣民でした。
立憲君主制とはいうものの、議会の権限は弱く、法律を作る権限もありませんでした。内閣は、天皇を補弼する立場にあり、行政権のトップは天皇でした。

明治維新(1867年)以来、天皇とその側近(太政官、左右大臣など)が統治してきましたが、その側近政治が内閣に代わって、内閣制度が発足(1885年)しました。
大日本帝国憲法は、1889年(明治22年)に欽定憲法として定められました。
帝国議会は、1890年から開かれるようになったもので、この議会で帝国憲法が施行されました。

細かいことは省きますが、立憲君主国とはいえ、帝国憲法下の日本は、天皇が主権者であり、内閣による輔弼があるものの、政治、立法、軍事の大権を有する独裁者だったのです。

日本国憲法は、主権は国民にあり、普通選挙によって選ばれた議会による議院内閣制となりました。
制度的には、民主主義が定着しました。
天皇は、国民統合の象徴とされ、依然としてこの国の最高権威として存在しています。

ただし、民主主義は、欧米では、絶対君主に対抗する手段として、内戦などにより、市民が血を流して勝ち取ったものです。
しかし、日本では、敗戦の結果、米国からプレゼントされました。
何とかこれを無駄にしないで、世界から好感を持たれる平和国家であり、豊かな文化を保つ国になりました。

日本国憲法と言えば、先ず憲法9条の戦争放棄を採り上げて、平和国家としてのシンボルのように扱われていますが(私はこの条文はあってもなくても同じだと思っています)、根本は、与えられた国民主権を、自ら血を流して勝ち得た国のレベルにまで消化してきたことが、この国が平和国家としてやってこられた要因ではないでしょうか。
近隣にも、議会制民主主義を採っている国もありますが、民主主義をここまで使いこなしている非欧米国はありません。

自衛権のことは、これは憲法より上位の概念であることを既に述べていますので繰り返しませんが、国防という観点の国民的議論がおざなりであったことは確かです。
この点を補強する議論がはじまりましたが、国民の間に、戦前回帰のようなアレルギーがあるようですし、事実、そのようなプロパガンダが行われています。

秘密保護法や集団的自衛権の議論に際して、表現の自由がなくなる、取材の自由が奪われる、自分の子供が戦地に送られるなど、戦前のイメージを利用した反対キャンペーンが行われていますが、かなり飛躍した反対運動だと思います。

何故かといえば、戦前の日本政府は、言わば独裁政権に近かったのです。政府に都合の悪いことは、簡単に立法によって、処罰できたのです。
今は、国民の代表である議会が立法しなければ、そんなことはできません。政府の行動も議会によってチェックされます。

将来子供たちが戦地にかり出される、という話しも飛躍があります。
徴兵制になる、と騒いでいる人たちもいます。今の日本で徴兵制を施行するのは不可能でしょう。憲法改正より難しいことだと思います(笑)。

そもそも徴兵制なんて時代遅れです。
日本を含めて欧米先進国では、殆ど徴兵制を採っていません。例外は、スイス、オーストリアなどの中立国、フィンランド、デンマーク、ノルエーなどの北欧諸国(対ロシア)だけです。あの中国ですら徴兵制ではありません。解放軍は利権特権階級なのでしょうか(笑)。
アジアや中東には徴兵制の国家が多いです。

そのそも近代戦はハイテク兵器とネットワークの駆使が命です。
素人の人海戦術ではなく、プロの世界のことです。
徴兵制の国、韓国で起きていると報道されている軍の不祥事などを見ていると、何だか軍隊として強そうに感じませんね。

主権在民の現憲法では、戦前回帰のような心配はないのではないでしょうか。
| 政治、外交 | 12:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
一眼レフデジカメ画像センサー汚れのクリーニング
送信者 橘フォト11

茅野で、山などを撮っていて気がついたのですが、SONYα77による画像の決まった場所の汚れがかなりの数あることが分かりました。
まずは、レンズの汚れ、レンズ交換の際のゴミの侵入などを疑って、レンズクリーニングを自動と手動でと試みましたが改善しません。
ソニーのサポートに相談してみると、
「画像センサーが汚れているのではないか」
とのことで、秋葉原のソニーサポートセンターに持ち込んでクリーニングすることをアドバイスされました。

偶々、妻の所用のため、8日(金)に三鷹へ帰ることにしていたので、今週に入って画像センサーのクリーニングをしてもらってきました。
久し振りに昼間のアキバを見物してきました。

画像センサーの汚れは、一眼レフの泣き所だそうで、技術的に解決できていないことのようです。
すっきりしない空模様が続いていましたが、今朝は、晴れていたので、書斎の窓から何枚か空を撮ってみました。画像センサーの汚れはすっかりなくなっていたので一安心です。
青空を撮る、これがチェックの一番良い方法です。

茅野で快適に過ごしていたのに、心ならずも三鷹に帰ってきて、こちらの暑さ、不快さには参りました。
とは言っても、茅野で過ごす楽しみの一つは写真撮影です。画像に汚れがでるようでは困ります。
カメラの修理が終われば、直ぐにでも茅野に戻るつもりでしたが、旧盆の帰省ラッシュの時期になってしまいました。
明日以降、道路の状況を見て移動したいと思います。
| 写真 | 13:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
東アジアに地政学的エネルギーが貯まっている
送信者 橘フォト11

東欧、中東、アジアなどで地政学的リスクが大きくなっています。
このうち、ウクライナは米、EUと露、アジアは、ASEANの多くの国々、米日と中国との間の緊張が高まっています。

ウクライナの緊張は、マレーシア航空機の撃墜問題もあって、米、欧が厳しい経済制裁に出ているため、露は、大変な苦境に立っていると思われます。露が、どれだけ頑張れるのでしょうか。

一方、アジアでは、米日と中国の対立が激しくなってきています。
こちらは、中国の内政次第だと思われます。
習近平とその反対派の権力闘争が何時決着が付くのか、ウイグル問題の深刻さはますます深まり、ロシアにとってのチェチェン問題並みであるとの見方もでています。
この問題が片付くまでは、一方的な中国の論理は継続されるのではないでしょうか。それだけ余裕がない状態だと思われます。
ところで、これらは片付くのでしょうか?

アジアは、中国がどうなるかで全く変わってきます。
現在の中共政権は、1949年成立ですから、65年の歴史です。

日本は、明治維新から70年経った1938年頃は、かなり国家として行き詰まっていて、太平洋戦争へと進んでいきます。幕藩体制から王政復古に代わり、天皇と側近官僚による一種の独裁政権でした。
戦後69年ですが、経済面での回復、成長ぶりは、まさに明治維新の力強さを感じさせるものでした。しかし、冷戦の終了、中国の台頭など地政学的環境は大きく変化し、これまでの経済重視、平和主義の行き方を修正せざるを得ない状況となりました。
日本を見ていても、70年は、国家盛衰の一つのタームではないでしょうか。

共産党独裁政権はソ連にはじまりますが、冷戦時代に米国と競ったソ連も、69年でその歴史を終えました。
ソ連は、帝政ロシアによる農奴時代からいきなり共産党による独裁政権に移行しましたが、中共政権発足時の中国も似たような社会だったのではないかと思います。
ただ、ソ連と中国の大きな違いは、中国は市場経済を導入し、著しい経済発展を遂げたことです。国民の所得が上がり続けたことが、相当無理な共産党独裁を続けることができた要因でしょう。

しかし、グローバル化、情報化時代は独裁政権には厳しいものがあります。
中国は、情報統制により、国民に入る情報を制限し、政治的統制を強化していますが、それにも限度があります。
また、極度に悪化した環境問題(空気、水、食品などの汚染)は、生存権のレベルに達し、国民の不満を著しく強めています。

中国の経済発展は、外資による投資、経済活動によってもたらされてきましたが、一部中国企業が実力をつけるに従って、外資イジメのようなことが多くなりました。
いわゆるチャイナリスクの一部が顕在化し出したのですが、これが今後の外資による投資にどのように影響するのでしょうか。
現在は、何とか糊塗している不動産、金融の不安が顕在化した暁にはどのようなことになるのでしょうか。
外資は、これにどのように対応しようとしているのでしょうか。

いろいろ考えてみると、65年間の中共政権では、外国がどう思おうと、できることは全てやって共産党独裁政権を維持してきました。未だ何か新しい手が残っているのでしょうか。現状のような世界経済状態が続けば、中国国内の様々な矛盾が出てきます。
中共政権は厳しいですね。
ソ連の69年は、偶然ではないかもしれません。

そう思って周囲を見回すと、南北朝鮮も建国66年です。両国とも行き詰まっています。
地政学的に、大きなエネルギーが貯まっているような気がします。
| 政治、外交 | 17:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
数年後には寒冷化に向かう?続
送信者 橘フォト11

前回のエントリーで、JAMSTEC独立行政法人海洋研究開発機構の中村元隆博士の、地球寒冷化に関する記者発表をご紹介しましたが、この考えに惹かれたのは、私の76年間の生活の記憶とほぼ合致するからです。

私は、1972年から1978年まで、それまでの東京暮らしから、ブラジルのサンパウロに2年、東京に2年、再びサンパウロの2年、そしてまた東京に落ち着くという生活をしていました。従って、この頃の気温に関しては、よく覚えています。

サンパウロやリオの気温との比較の関係で、最初にサンパウロで暮らした時の私の記憶では、東京は時々30度を超すことがあるが、大体は30度以下に収まっていたと記憶しています。とは言うものの、時には32度ぐらいまで上がる日が、1年に2〜3日はあったかと思います。
1979年から1980にかけて激変したという中村博士の検証が、私の記憶と一致しました。
因みに、その頃の我が家では、扇風機は使用していましたが、クーラーはありませんでした。

もうひとつ、寒冷化をうかがわせる記事があります。

欧州宇宙機関(ESA)の極域観測衛星「クライオサット」によって、北極の海氷の大幅な体積増加が確認されたのだ。近年、減り続けてきた北極海氷が、体積比で前年同期の1・5倍に増えたという。

これは、2013年のデータです。
これが続くようになると、減り続けていた北極海の氷は、ボトムアウトしたことになります。
JAXAの地球衛星「しずく」がとらえたデータも同じような傾向を示しています。
私は、北極海や南極のの氷は減り続けているとばかり思っていましたが、北極海についてはそうでもないことが分かりました。
その他、寒冷化を危惧する考察は沢山あります。
メディアはあまり報道しませんね。地球温暖化に水をかけるような知見は悪と決めつけているようです。

確かに、温室効果ガスの増加により、地球が温暖化に向かって、将来どうなるか分からない、という危機感が常識化していました。
しかし、地球の歴史をみると、気温に関しては、地球のリズムのようなものがあることは明確です。
数十年のリズムからはじまって、中期のリズム、長期のリズムなど様々なリズムがこれあり、それらが合成されて複雑なリズムになって現れるのだと思います。
それに温室効果ガスがどの程度影響してくるのか、じっくり観察しなければなりません。

歴史上明らかなことは、欧州が、1300年頃から1700年頃までの寒冷期に、食糧不足やペストによる人口減少など厳しい状況が続き、それが大航海時代をもたらしたとも言われています。
4〜5世紀の世界的な民族大移動も、寒冷期のことです。

世界の総人口70億人超の時代に、寒冷期が到来するとすれば、地球は悲惨なことになります。

| 環境 | 17:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
数年後には寒冷化に向かう?
送信者 橘フォト11

CO2などの温室効果ガスなどの影響で、地球が温暖化に向かっているとの考えが専らですが、以前、メキシコ湾流の変動により、地球レベルの気候変動が起きる、という記事を読んだことがありました。
海洋学者の中には、地球は温暖化ではなくて、寒冷化に向かうことを心配している人がいるとのことでした。

酷暑の季節になると、何時もこの説を思い出していましたが、メディアは、温暖化教に染まっているためか、このような考えを大きく取り上げることはありません。
BLOGOSで、JAMSTEC独立行政法人海洋研究開発機構による記者発表「グリーンランド海の変化は、北半球の気候変動をもたらす! 数年後には寒冷化が始まる? 」(2013年6月29日発表)という記事を見つけました。

メキシコ湾流の暖かい海流が、グリーランド海で、北極海からの冷たい水とぶつかって冷やされて沈み込み、海底をはうようにして南下し、南極海の深層海流と合流して、全球規模熱塩循環流をもたらすのだそうです。

その循環のうち、グリーンランド海とラブラドル海で沈みこんだあと低緯度に向かって進み熱帯・亜熱帯域でわきあがる、大西洋だけで循環する流れを「大西洋熱塩循環流」と呼びます。莫大な熱を運ぶため気候に大きな影響をおよぼすほか、「大西洋数十年規模振動」のメカニズムの基盤だと考えられています。大西洋数十年規模振動とは30〜40年おきに寒冷化と温暖化をくり返す現象で、(振動とは周期的に繰り返す現象を意味)、北半球は1940〜70年代は寒冷化、1980年から現在は温暖化しています。実際、今とは逆に1960年代と1970年代には氷河期到来がさわがれていたのです。

その日本への影響を調べた結果がこのレポートです。
日本では、1979年までと、1980年以降では、平均的な海水温が突然2度上がったそうです。

今後については、

今回の結果から、1979年のグリーンランド海の急激な水温上昇は、1940〜70年代の北半球寒冷化から現在の温暖化にうつる「大西洋数十年規模振動のきりかえスイッチ」を押したと考えられます。そう考えると、今後数年から10年以内に北半球は寒冷化にうつると予測されます

と結んでいます。

温暖化一辺倒の世の中に、このような学説を、紹介したいと思います。
酷暑の東京で五輪とは、”おもてなし”どころではありません。
何とか寒冷化が、東京五輪に間に合わないものでしょうか?

7/31から茅野に移って、身体が大分楽になりました。
| 環境 | 12:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
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