暑かった夏もようやく秋の風情を感じるようになりました。
例年8月は、その半分以上を茅野の小屋で過ごし、広島、長崎の原爆の日、終戦記念日などの行事をTVで見ながら、当時の記憶を呼び起こして過ごしていました。
原爆や、戦争の悲惨さを語り継ぐ、不戦の誓いを確認する、ということに重点を置いた放送や、記事が続きます。
戦前と戦後で、日本は何が変わったのだろうか、この当たり前のことが忘れられかけています。
一番大きな点は、帝国憲法では、主権が天皇にありました。
国民は、天皇の臣民でした。
立憲君主制とはいうものの、議会の権限は弱く、法律を作る権限もありませんでした。内閣は、天皇を補弼する立場にあり、行政権のトップは天皇でした。
明治維新(1867年)以来、天皇とその側近(太政官、左右大臣など)が統治してきましたが、その側近政治が内閣に代わって、内閣制度が発足(1885年)しました。
大日本帝国憲法は、1889年(明治22年)に欽定憲法として定められました。
帝国議会は、1890年から開かれるようになったもので、この議会で帝国憲法が施行されました。
細かいことは省きますが、立憲君主国とはいえ、帝国憲法下の日本は、天皇が主権者であり、内閣による輔弼があるものの、政治、立法、軍事の大権を有する独裁者だったのです。
日本国憲法は、主権は国民にあり、普通選挙によって選ばれた議会による議院内閣制となりました。
制度的には、民主主義が定着しました。
天皇は、国民統合の象徴とされ、依然としてこの国の最高権威として存在しています。
ただし、民主主義は、欧米では、絶対君主に対抗する手段として、内戦などにより、市民が血を流して勝ち取ったものです。
しかし、日本では、敗戦の結果、米国からプレゼントされました。
何とかこれを無駄にしないで、世界から好感を持たれる平和国家であり、豊かな文化を保つ国になりました。
日本国憲法と言えば、先ず憲法9条の戦争放棄を採り上げて、平和国家としてのシンボルのように扱われていますが(私はこの条文はあってもなくても同じだと思っています)、根本は、与えられた国民主権を、自ら血を流して勝ち得た国のレベルにまで消化してきたことが、この国が平和国家としてやってこられた要因ではないでしょうか。
近隣にも、議会制民主主義を採っている国もありますが、民主主義をここまで使いこなしている非欧米国はありません。
自衛権のことは、これは
憲法より上位の概念であることを既に述べていますので繰り返しませんが、国防という観点の国民的議論がおざなりであったことは確かです。
この点を補強する議論がはじまりましたが、国民の間に、戦前回帰のようなアレルギーがあるようですし、事実、そのようなプロパガンダが行われています。
秘密保護法や集団的自衛権の議論に際して、表現の自由がなくなる、取材の自由が奪われる、自分の子供が戦地に送られるなど、戦前のイメージを利用した反対キャンペーンが行われていますが、かなり飛躍した反対運動だと思います。
何故かといえば、戦前の日本政府は、言わば独裁政権に近かったのです。政府に都合の悪いことは、簡単に立法によって、処罰できたのです。
今は、国民の代表である議会が立法しなければ、そんなことはできません。政府の行動も議会によってチェックされます。
将来子供たちが戦地にかり出される、という話しも飛躍があります。
徴兵制になる、と騒いでいる人たちもいます。今の日本で徴兵制を施行するのは不可能でしょう。憲法改正より難しいことだと思います(笑)。
そもそも徴兵制なんて時代遅れです。
日本を含めて欧米先進国では、殆ど徴兵制を採っていません。例外は、スイス、オーストリアなどの中立国、フィンランド、デンマーク、ノルエーなどの北欧諸国(対ロシア)だけです。あの中国ですら徴兵制ではありません。解放軍は利権特権階級なのでしょうか(笑)。
アジアや中東には徴兵制の国家が多いです。
そのそも近代戦はハイテク兵器とネットワークの駆使が命です。
素人の人海戦術ではなく、プロの世界のことです。
徴兵制の国、韓国で起きていると報道されている軍の不祥事などを見ていると、何だか軍隊として強そうに感じませんね。
主権在民の現憲法では、戦前回帰のような心配はないのではないでしょうか。