前回の梅の花が、雨の日の余りにも寒そうな感じだったので、しっかり光を浴びて春を感じるものを載せました。
ビットコインという言葉は見ていましたが、今回のマウント・ゴックス社の破綻で注目して調べた結果、どんなものかの輪郭が分かってきました。
結論として、CPU使用量オリエンテットのネットワーク上の価値観に支えられたもので、発行量が決まっている財であること、偽物が造りにくいこと、換金性があり、支払い手段として利用でき、その場合の手数料などのコストが金融機関を利用した場合と比較して非常に安いことなど通貨に近い面白いものだと感じました。
今回は、ビットコインの取扱業者の破綻で、ビットコインそのものに欠陥があるということではありません。マウント・ゴックスの破綻で分かったことは、ビットコイン保管方法、流通の安全性の問題でした。
現段階では、ビットコインは、優れた仮想通貨ではあるが、ネットの性格上、それを完璧に安全に保管したり、通貨と交換したりする方法がないということです。個人のPCも、取引所会社のセキュリティも、完璧ではありません。
もちろん、自分のHDDでネットから切断できるもの、たとえばUSBに保管することができます。保管だけならかなりの安全性が保てます。しかし、それを支払いに充てたり、通貨に換金したりするには、インターネットにつながなければなりません。
今回の事件は、換金譲渡を行う取引所会社マウント・ゴックスが、ハッカーに襲われて、かなりの金額の通貨およびビットコインを失った、ということのようです。
同業他社は、マウント・ゴックス社のセキュリティが甘い、とコメントしているようですが、現段階では、ネット上のセキュリティに100%はないと思われるので、相対的な問題ではないかと思われます。
もし、ビットコインの流通、保管が安心してできる、という前提に立てば、これは素晴らしいものだと思います。
インターネット上で、普遍的価値があり、流通し、支払いにも充てられるし、各種通貨にも換金できるとすれば、しかも、これが発行量に限度がある希少価値のあるものですから、まさしく金のネット版ということになります。
金に価値が認められる点の一つに、有限であり、希少価値があることがあります。
ただし、金はそれ故に、それは経済の規模拡大に伴って必要な通貨量について行けず、現在のような管理通貨制度になってきました。その結果、金は、希少価値のあるコモでティとして売買されています。
ビットコインも、発行量に限度があることから、金と同じように、現代社会の通貨にはなり得ず、ネット上のコモディティとして希少価値によって、値上がりしたりして、投資、投機の格好の対象となるでしょう。
ビットコインの価値が、CPU使用量に依存しているとすれば、CPUが、飛躍的にその能力を上げられる時期が来れば、偽物を造っても割に合うようなことになるかもしれません。そうなると現在のビットコインは暴落するでしょう。
将来的には、別のグループが、改良を加えた新しいビットコインを造り出す、或いは、次世代のCPUによる次世代ビットコインが出るなどが考えられます。
そうなると、それぞれのビットコイン間で、裁定取引が活発になるでしょう。
現在は、ビットコインと各管理通貨間の市場ですが、これが、各種ビットコイン間の裁定市場になれば、恐らく金融機関も参加した大きなマーケットになるかもしれません。単品の金とは比較にならない大きさの市場に成長する可能性があります。
また、デリバティブ市場もできそうです。賑やかなマーケットになるでしょう。
いずれにしても、CPUの将来に関する見識が、この市場を見極める基礎になるのではないでしょうか。
暇な老人の感想です。