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マスメディアは外交に関しては政府に協力すべき
送信者

山荘開きをかねて、この季節に茅野へやって来ます。
今年の東京は、あっという間に桜と新緑の季節が過ぎてしまいましたが、この辺は、新緑ははじまったばかりです。さすがに、桜はとうに終わっていました。

ここも高齢化が進行し、昔は、この連休は、子どもの声で賑やかでしたが、世代交代が進み、その交代した人たちも高齢化し、子どもの声は聞こえなくなりました。妙に静かです。
この静かさを楽しむことが、この時期の過ごし方になってきました。

安倍、プーチン会談のTV放送を見ながら、安倍総理の積極的な動きは好感が持てますが、果たして身体が持つのか心配しています。
デリケートな交渉であることを理解しないTBS記者の不躾な質問に、プーチンが切れかかっていましたが、領土問題だけではなく、ロシアとの関係を安定させることが、両国の大きな利益であることが判っていれば、あのような質問は出来ないのではないでしょうか。
マスコミが、日露関係の安定化をぶち壊すのではないかと心配しています。

昔、橋本龍太郎総理と話した時、何しろ休みと自由がないのが堪える、と言った言葉を思い出しました。
彼も、国のために一生懸命走り回って、69歳直前に他界しました。
見渡したところ、安倍総理は、他にかけがいがない人材だけに、健康に留意してもらいたいと思います。
マスメディアも、このような国際問題で国益を大きく捉えて、政府の足を引っ張ることがないように、心していただきたい。
| 政治、外交 | 17:57 | comments(2) | trackbacks(0) |
牛肉の味わい方
送信者 橘フォト9

明治維新で変わったことは、政治面では、富国強兵、殖産興業などの政策が採られたことだけではありません。文化面でも文明開化によって、洋風の影響がいろいろと入ってきました。食文化も大きく影響を受けました。

仏教の教えからでしょうか、日本人は四つ足の動物は、表だって食べる習慣はありませんでした。
明治に入って、西洋人の影響を受け、牛肉など四つ足の動物も食するようになりました。明治の文豪の小説に、「牛肉を食べに行く」ことが、恰もファッションのように表現されていました。

日本人が牛肉を食べるというと、ステーキのこともありますが、普通はすき焼きやしゃぶしゃぶです。
戦後は、在日韓国人の間ではじまった「焼き肉」も、かなり普及しています。
それでも、毎日のように牛肉を食べている人は少ないのではないでしょうか。

30歳代の半ばに、ブラジルのサンパウロに赴任しました。
この国の人たちは、隣国アルゼンチンと並んで、牛肉を良く食べる人たちです。シュラスコと称して、剣に肉の塊を刺して炭火で焼きます。外側の焼けたところから削ぎ落として食べていきます。南米の言わばカウボーイ料理です。
ブラジルでは、牛肉はさほど高価ではなく、牛肉を食べていれば家計を圧迫しません。上流階級から下層階級まで、牛肉は大事なタンパク源です。牛肉価格の変動は、人々の、そして政府の大きな関心事です。

私は、この国で牛肉の味を覚えたように思います。
この国では、牛肉は、原則、冷凍前の生肉です。この味が最高です。冷凍されたものは、かなり味も、値段も落ちます。
考えてみると、日本では、原則冷凍牛肉ですね。すき焼き肉などは、冷凍しないとあのように薄く切れません。
日本人は、本当の牛肉の味を知らないと思いました。

それから、日本の牛肉と違って、広い牧場で、十分運動しながら育った牛ですから、筋肉に脂が混じっていません。
日本人は、通は、生焼きのレアーを楽しむ人が多くいましたが、ブラジル人は、衛生面の配慮もあってか、良く焼いて食べます。ウエルダンにすると消化も良くなります。部位によって異なりますが、脂が少ないことと相まって、胃にもたれないし、健康にも良いと思います。
ですから、牛肉が続いても、うんざりするようなこともありません。
和牛だったら、一度食べると、2〜3日は空けないと、食べる気になりません。
そのような環境で育った中学生の長男は、一度に500グラム近く食べてしまう習慣がついてしまい、帰国したら困るのではないかと心配しました。

そのような私たち家族が、帰国途中に立ち寄ったアメリカのビーフは、また別の味がして楽しめました。
この頃は、OZビーフと並んで、アメリカンビーフもスーパーの店頭に並び出し、家庭でも味わえるようになりました。

ロンドン滞在中の最高の贅沢は、スコッチビーフのステーキでした。これは、ミディアムかややレアー位がもっとも好きでした。
日本では、お目にかかりません。
牛肉に関しては、まだまだ不自由な未開の国です。この状態を維持することが国益なのでしょうか。
| 料理、酒 | 16:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
結婚50周年 長いような短いような

今日は、私たち夫婦の50回目の結婚記念日です。金婚式です。
若い頃は、金婚式?50年?と、現実味を全く感じませんでした。
しかし、揃って元気に?迎えてしまいました。有り難いことです。

私は、25歳で結婚しました。
最初の25年は、生まれてから結婚するまでの期間でした。

結婚から25年、1988年、銀婚式は赴任地のロンドンで迎えました。
世界中が好景気というか、バブルに湧いていた頃のことでした。
この期間は、ビジネスに没頭し、仕事に充実感を感じた時代でしたが、家族を思いやる余裕のない時期でした。
それでも、2度のサンパウロ勤務や、ロンドン勤務で、日本でのサラリーマン生活とは違った家族ぐるみの生活がありました。この間は、家庭での夫や父親の役割が大きくなります。
このような機会に恵まれて良かったと思っています。

50歳を過ぎると間もなく、日本経済はピークアウトし、バブル崩壊後の失われた20年の時代に入ります。
多くの企業や家庭が、バブル時代の後始末に追われ出します。ビジネスマンとしての私もご多分に漏れず、一転、前向きから後ろ向きの仕事に追われました。そして、62歳で年金生活に入りました。
最後の25年は、人生のクールダウンの時期でした。

振り返ってみると、私の人生は、このように25年区切りで整理できます。
その間、私たちはそれぞれ病気をしましたが、年なりに元気にしています。これが何よりも有り難いことです。
昔は、金婚式を迎えたら、兄弟、子供たち、孫、甥姪などの親戚、仲人をした夫婦たち、夫婦で親しくさせてもらった人たちなどを招いてパーティをやりたいとか、記念の海外旅行をしたいとかいろいろイベントを考えていましたが、もはや、そのようなエネルギーはありません。

今夜は、レストランで食事をとも考えましたが、寒いので億劫なのと、行きたい店も思いつきません。
昔を思い出して、自宅での、ステーキとフルボディのワインの夕食としました。チーズケーキも加えて、久し振りに食後のリキュール酒まで手を伸ばしました。

明日から次の25年と考えたいところですが、それには現実味がありません。
50年と1日からスタートして、行けるところまで行こうと話し合いました。
| 身辺雑話 | 22:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
オレンジユニホーム「橙魂2013」対ヤクルト戦観戦
送信者 橘フォト9
(巨人坂本勇人遊撃手)
幸運にも東京ドームの巨人戦、今季初のオレンジユニホーム「橙魂2013」の試合を観戦しました。
甲子園での対阪神3連戦で1点も取れなかった昨日までの後のことですから、巨人は、昨年の初めのような貧打に戻ってしまったのではないかと心配しながら出かけました。
しかし、このユニホームを着た巨人は強いですね。ホームランの応酬の中で8−3とヤクルトを打ち負かしました。
昨シーズン振るわなかったボーカー選手は、CS、日本シリーズでめざましい働きをしました。そのままの勢いが続いています。2本のホームランで5打点をあげました。
もう一人の元大リーガーホセ・ロペス選手もホームランを打ちました。この選手は、日本野球に慣れると、もっと素晴らしい働きをしそうです。
他球団にとっては恐怖の6,7番ですね。

WBC組が今ひとつ調子に乗れていませんが、坂本選手は、2本の2塁打を打ちました。打撃は、いずれさらに良くなっていくことだと思います。
感心しているのは、彼の守備面での進歩です。
昨年は、エラーの多い選手でしたが、今年は、これまでノーエラーです。
WBCでの全試合(日本とアメリカでの練習試合も含めて)でエラーをしていません。守備範囲は、もともと最も広い選手でしたが、それに安定性が加わりました。守備が安定すると、打撃にも良い影響が現れそうです。今年は、ゴールデングラブ賞も狙って、攻走守揃った名遊撃手に育って欲しいと思います。

オレンジユニホームの東京ドームは素晴らしいです。
大歓声とオレンジ一色の観客、選手が一体となった興奮は何とも言えません。
後期高齢者の私も、妻と共に、オレンジユニホームを着て、オレンジタオルを振りながら観戦しました。
| スポーツ | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
気になっていた健康上の問題がひとつクリアーされたが
送信者 橘フォト9

職場の先輩が、首にコブができたので診てもらったら、知らない間に前立腺癌がリンパ節まで転移していたそうです。2年3ヶ月の闘病の結果亡くなりました。
その話を聞いて、急に心配になりました。

私は、17年前に、顔に基底細胞癌ができて東大病院で手術しました。
毎朝、髭を剃りながら、内瞼の直ぐ下側に、異様な黒光りがする小さなホクロのようなものが気になり出しました。調べてもらった結果、それは基底細胞癌であることが分かり、きちんと手術することになりました。
先生が、このように小さい癌の手術は初めてだ、と言うほど小さいものでした。良く気が付いたと褒められました。
この癌は、癌の中では質の良い方で内臓に転移することはないが、放置すると骨に転移するとのことでした。

その頃からあった別のホクロが、かなり大きくなり、時にはかゆみを感じるようになって気になっていました。
前立腺癌も骨に転移しやすいとのことで、かって患った基底細胞癌を思い出しました。この大きくなったホクロが、万が一癌であったら放置しておくと大変なことになると思い、皮膚科を訪れました。
診断は簡単で、老化に伴うもので危険なものではないとのことでした(苦笑)。取ってしまっても良いし、そのままでも差し支えないとのことでした。
そうであれば、しばらく様子を見たいと言って帰ってきました。

この年になると、このような身体の一部の異常にビクビクしながら暮らすことになります。
眼(網膜剥離)、鼻(花粉症などアレルギー性鼻炎)、耳(耳管狭窄症)、歯、頸骨、胃(胃炎)、肺(肺気腫)、膝、座骨神経痛など数え上げてみるとあちこちの部品が傷んでいます。情けない話しです。

これからは、このようなことの繰り返しになるのでしょうが、頭を病むようになると悲しいですね。
しかし、サッチャー首相も、レーガン大統領も認知症を患っていますから、誰もが覚悟をしておかなければならないことのようです。
| 健康 | 17:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
スローでフリーな余生を送りたい
送信者 橘フォト9
(花梨の花)
この春は、桜をはじめとして開花が早く、どの花も一斉に咲いてしまいました。
我が家の小さな庭でも、椿(白と赤白の絞り)、はなかいどう、木瓜、馬酔木、山吹やこの花梨の花まで咲いてしまいました。
地面には、すみれ、にら、水仙、胡蝶蘭などが咲いています。
花梨は、今年はことのほか沢山の花を付けています。秋にはたわわに実を付けるのではないかと楽しみにしていますが、ヒヨドリが来て花を食べています。もしかしたら、適当な数の実に調整しているのかも知れません。

8年間務めていた企業のOB会の会長を、昨日、辞任しました。
OB会という親睦団体で、その運営はそれほど難しいことはありませんが、一度破綻した企業なので、破綻責任に伴う訴訟を抱えている会員がいたり、破綻責任に対する想いも人それぞれであったりで、過去を引きずった問題に対する対応もデリケートでした。それらの訴訟も、この2年間で解決しました。
また、破綻後は外資系になったので、社長が、日本人、イギリスのジェントルマン、ヤンキー、また日本人、アメリカの本当の経営者などとくるくる替わりました。
最近は、残っていた我々の後輩がトップになりました。OB会の運営も外資系の価値観に違わないように気を遣ってきましたが、今後は、やりやすくなりそうです。
そのようなことで、私が会長を引き受けた頃の年齢の新会長に引き継いでもらいました。
昨日から今日にかけて、何人かの会員から慰労のメールや手紙を頂戴しました。
自分では、どうだったか分かりませんが、評価してくれる人がいるのは嬉しいことです。

今や、かなりのスローライフを送っていますが、これで、大きな柵を解かれ、残りを完全に近いフリーな人生として送れれば良いと期待しています。
| 身辺雑話 | 18:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
北朝鮮は詰む寸前 詰んだ後のことを考えておかないと
米国は、西部劇スタイルで、「相手が先に抜いたら撃ち殺す」の論理で北朝鮮を締め付けています。強気ですね。
日本も真珠湾の先制攻撃に誘い出されました。
今の北朝鮮は、盛んに強がっていますが、装備は古く、資金不足のために十分な訓練も出来ていないようです。軍用機、ミサイルなどの燃料も不足しているものと思われます。米は北から仕掛けてくることはない、と読んでいるのでしょうか。米韓側の強気が目立ちますね。

今、北朝鮮は、最も厳しい食糧不足の時だと言われています。
軍の食糧も不足し、軍人の集団脱北のニュースもありました。
脱北者の話しによれば、兵士は、
「早く戦争になって欲しい、捕虜になって腹一杯食べたい」
などという心境になっているとのことです。
中国の締め付けが効きだしているのでしょうか。

北朝鮮の選ぶ道は、
1.軍事的に暴発して自滅する
2.現状のまま次の食料が出回る季節(夏)まで頑張る(この場合、民衆や兵士の暴動が起きて大混乱になることが予想される)
3.国連に対して投降する
などの方法しかありません。
もう詰んでいるのです。

一番有り難くない軍事的暴発では、ミサイルに搭載された生物兵器、化学兵器による韓国、一部日本の被害が考えられます。しかし、北朝鮮の体制は確実に終末を迎えます。
北朝鮮のミサイルは、距離の実験は行われてきましたが、目標物への命中の実験は行われていません。従って、この被害の程度は予測できませんが、日本の国土のどこかに落ちることはあり得るものと予想されます。
核兵器は、未だ実用化されていませんから考えることはないと思います。

いずれにしても、人工衛星と主張する長距離ロケットの発射、核実験(核物質は検出されなかったようなので失敗)によって国連を敵に回し、自ら袋小路に入り込んでしまいました。

日本政府は、何れのケースに関してもシミレーションをしていることでしょうが、北の崩壊後の朝鮮半島をどうするかは難しい問題です。六カ国協議が、新たな段階に入ることでしょう。
日露戦争の頃に似てきますね。
| 政治、外交 | 17:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
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