庭の紅梅が一輪開いていましたが、今日も寒い一日でした。せっかく開いた梅の花が、寒さで萎んでしまうのではないかと思うほどでした。
梅一輪友快癒の便りあり 青庵
友人のGさんから、浜田宏一(イエール大学名誉教授)の「アメリカは日本経済の復活を知っている」を薦められ、遅ればせながら借りて読ませていただきました。
私は、東京とロンドンで、1980年代後半のバブル時代から1996年まで、金融証券市場の第一線の仕事に従事していました。その頃は、世界の金融市場の様子は、皮膚感覚で分かっていましたが、1997年から金融を離れ、2000年にビジネスからリタイアーしました。
当然のことながら、市場感覚は徐々に薄れ、金融市場に関する感覚も知識も、古いものになってしまいました。
特に、リーマンショックの後のことは、ネットのニュースなどで知っていることだけになりました。日銀が、かくも金融緩和を渋っていたとは知りませんでした。
もともと、バブル期には、大蔵省の金融行政も、日銀の金融政策も、間違いなく、バブルを煽っていました。
バブルが頂点に達した時期に、日銀は金融引き締めに入り、その後大蔵省の不動産融資規制が行われ、バブルは一気に破裂に向かいました。
バブルの発生、それを沈めようとした政策がオーバーキルとなり、日本の金融システムを痛め、その後の失われた20年を招きました。
大蔵省は、金融機関の経営悪化の対応におわれ、日銀は、バブル期の痛い失敗に懲りて、羮に懲りて膾を吹く、ような手堅い?金融政策を採り続けていました。
日本が、バブル後20年以上経っているのに、何故デフレから脱却できないかを各国の中央銀行は研究し、それは、金融の緩和が十分でなかったからであることを知っていました。
だから、リーマンショックの後、米国、欧州、英国などは大胆な金融緩和を実行しました。
大雑把に言うと、それまでの資金放出量の、英国は300%、米国は200%、欧州でも100%前後の資金を各中央銀行は市場に放出しました。日銀は僅か30%台だったそうです。
日銀は、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで、日銀なりに緩和を積み上げてきたのだと思います。
私は、現場感覚を失った後、何度も日銀が緩和をした、というニュースを見たような気がしますが、この本によると、全く緩和が不足していたようです。
リーマンショックの後、日本だけがデフレで、他の国々はデフレにならないで済んだのは、中央銀行の金融政策の差であることこの本は主張していますし、そうであろうと感じた次第です。
この浜田名誉教授の持論が、安倍政権の政策に取り入れられたのは幸運でした。
安倍政権の新鮮さは、この真っ当な金融理論を素直に受け入れたことです。
財政による景気の刺激、成長戦略を伴って、新生日本のスタートとなることを願います。