本日の、デイリースポーツの記事を引用させていただきます。
野球殿堂入りを決める野球体育博物館の表彰委員会は11日、競技者表彰のプレーヤー表彰として大野豊氏(57)を、エキスパート表彰として外木場義郎氏(67)を、それぞれ選出した。特別表彰では、小倉中(現小倉高)でエースとして全国高校野球選手権大会を2連覇した福嶋一雄氏(82)が選ばれた。
福嶋一雄氏は感激の涙を流して喜んだ。甲子園連覇の偉業がたたえられ「うれしいと同時に光栄。チームメートに恵まれた」と感謝。甲子園の土を初めて持ち帰った選手としても知られる。3連覇を目指した3年夏、甲子園の準々決勝で敗退し、土をポケットに入れた。持ち帰った土は自宅にあったゴムの木の植木鉢に入れたという。植木鉢は今も残っており「それを見るたびに勇気づけられます」とほほえんだ。
小倉中学のエース福島投手、懐かしい名前に出会い、忘れていたことを思い出しました。
福島投手は、旧制小倉中学のエースとして甲子園で活躍し連覇に導きました。新制小倉北高校(翌年?から小倉高校)として甲子園3連覇を目指しましたが、この記事にある通りそれはなりませんでした。
私は知りませんでしたが、最初に甲子園の土を持ち帰った選手だったそうです。
小学生の私は、ラジオにかじりついて、全国中等学校野球大会に夢中でした。小倉中学の福島投手は有名でした。新聞には写真が出ていたかも知りませんが、記憶にありません。ラジオのアナウンサーが伝える情報だけで、すっかりファンになってしまいました。
やがて、福島投手は早大に進学しました。
私は、東京六大学野球の早大ファンでしたから、長島選手や王選手が巨人に入った時よりももっと大きい期待でその活躍を夢見ました。
もう中学生になっていたと思いますが、早速、神宮球場に観戦に行きました。そこではじめて福島投手を見たのでした。
当時の早大は、強打の石井藤吉郎選手がエースも兼ねていましたが、福島が入って戦力は格段に強化されました。
その試合は、はじめ石井選手が投げていましたが、途中から福島投手に代わり、石井選手はセンターの守備につきました。
がっしりした大柄な石井選手の後に現れたのは、長身でスラリとしたアンダースローの福島投手でした。その記憶は鮮明に覚えています。
福島投手は、早大のエースとして、何度も早大を優勝に導きました。
早大卒業後は、八幡製鉄のエースとして活躍しました。詳しい情報は、
ウィキペディアにありますが、長らくアマチュア野球の指導者として活躍したとのことです。
その当時のプロ野球もありましたが、子供の私は、六大学野球の方が、応援もあり、攻守の交代もスピーディで、活気があったので、関心は、六大学野球の方に向かっていました。
社会人野球も、六大学のOBなど活躍するので、関心を持って観ていました。