我が家の金木犀の花が、開き始めました。私が記憶する限り、最も遅い開花です。
窓を開けると、大分嗅覚が鈍くなっている私の鼻にも、ほのかな香りを感じます。葉隠れには、黄色い花が沢山見えます。
金木犀が咲くと、何時も思い出されることがあります。
33年前に69歳で亡くなった母のことです。
長男の私は当時41歳、サラリーマンとして夢中で働いていました。
9月30日の早朝5時頃、何か叫び声のようなものが聞こえたように感じ、母の部屋を覗いてみました。
母は、何かを訴えようとしていたのですが、言葉になりません。身体も自由になりません。
異常を感じた私は、直ぐに救急車を呼びました。
救急車の人が、母の左右の手が握れるかどうかを試しているのを見て、
「母は脳卒中になったのだな」
と思いました。
救急の人が最初に電話した大学病院からは、断られたようでした。次に電話した近くの病院に緊急入院しました。
主治医である女医の診断は想像した通り、脳卒中、とのことでした。
ただ、脳卒中には、脳出血と脳梗塞があり、治療法は全く逆になるので、どちらか判断できない現段階では、しばらく様子を見るしかない、とのことでした。
今では考えられないことですが、この病院には集中治療室がなかったのです。ただ点滴を打つのみのように見えました。もし、集中治療室のある救急病院だったら、何とかなったかも知れないと思うと、今でも悔やまれます。
早朝のことで、母は、救急車の中で、サイレンの音を消すようにと、ご近所に気遣いをしていた程でした。しかし、入院してからは、急速に意識が遠くなっていくのが分かりました。
知らせを聞いて駆けつけた、辻堂に住む弟が到着した時(午前8時頃)には、眠っていました。
弟が声をかけると目を開き、弟を確認し、安心したような表情を見せました。そして再び目を閉じて、そのまま昏睡状態に入りました。
10月8日、二人の息子夫婦に見守られながら、母は息を引き取りました。
女医さんは、
「お母様は、心臓が丈夫なのでこれだけ頑張れました。息子さん方は、お母様から強い心臓を引き継ぎました。感謝しなければなりません。」
と言いました。
この間、雨の日が多かったのを記憶しています。
今、私は74歳で、母が亡くなった歳を5歳もオーバーランしています。
母は、まだまだ若かったのだな、とつくづく思います。
もう少し長生きさせてあげたかった、親孝行をしておけば良かった、と思います。
女医さんの言う通り、元気な人でした。母が死ぬ、なんていうことは頭をかすめたこともありませんでした。
サラリーマンとして仕事第一の生活をしていた頃ですから、良き夫とも云えず、良き父親とも云える状態ではありませんでした。ましてや、良き息子とはほど遠かったことと思います。
「親孝行 したい時には 親はなし」
とは良く云ったものです。
亡くなる前年、赴任していたサンパウロに母がやって来て、正月を挟んで半年ほど共に暮らしたこと、私たちが帰国して、漸く、三鷹で同居できるようになったことなどが、せめてもの救いです。
金木犀が咲くと、毎年、この様なことを考えます。
一昨年、
亡父の50回忌と併せて、1年前倒しで母の33回忌を執り行いました。
(2004.10.4ホームページの記事を、リライトしました。)