7月10日、久しぶりに靖国神社に参拝しました。
みたま祭り(7/13〜16)の準備中で、参拝者も未だ少なく、静かな日でした。
遊就館をゆっくり見学しました。
これは
靖国神社のホームページに、
「
中国の古典、『荀子』勧学篇「君子は居るに必ず郷を擇び、遊ぶに必ず士に就く」から「遊」「就」を撰んだものです。国のために尊い命を捧げられた英霊のご遺徳に触れ、学んでいただきたいという願いが館名には籠められています。」
とあるように、明治維新以来、国のために命を捧げられた方々に関する史料が展示されています。
この展示は、明治維新以来の我が国近代史の一つの側面を辿っています。
この間の歴史に、名を残した方から無名の兵士に至るまで、祀られている多くの方々の魂に語りかけられているようでした。
気持ちを整理するのに時間をを要しました。
明治維新以来、我が国は、富国強兵、殖産興業を国家の目標にしてきました。
太平洋戦争以前には、強兵はかなりの程度実現していましたが、富国とはほど遠く、殖産興業も十分なレベルには達していませんでした。
殖産興業が活発になったのは、1950年代後半からの高度成長期に入ってからです。
そして1980年代後半には、経済規模で世界第2位、一人当たりGDPでは主要国の中で第1位の経済大国になりました。ホームレスが殆どいない時期もありました。
明治以来目標にしてきた富国が実現したのです。
そして、その後の20年以上の間、富国のシステムのまま、そのお余りを食いつぶしてきて現在に至りました。
富国は、強兵政策の放棄によって実現しました。強兵の部分は、日米安保条約によって補ってきました。
国防にに関しては、実に、合理的な選択がなされてきました。
裏を返せば、靖国神社に祀られるような、国のために命を捧げる人を必要としなくなるようなシステムを採用してきました。
その結果、国のことを命がけで考え、行動する人がいなくなってしまったのです。
もう一度、建国の原点(明治維新)に立ち返って、新しい国造りを考える時期にきています。
江戸時代末期の人々より、現代日本人の方が劣っているのでしょうか?
もしそうだとしたら、明治維新に立ち返って考えることは出来ませんが。
ただ、一つ大きな違いがあります。江戸時代末期の人々は、失うものがありませんでした。
しかし、現代日本人は、失うものがあり過ぎます。失うことを恐れています。
そこが大きな違いです。
先の見通しがきかない富国の余韻の中では、改革も難しいのかも知れません。
富国の余韻が、完全に消えてから改革がやって来るのでしょうか?
それでは遅すぎます。