(青森県漁業協同組合連合会ホームページより)
小学校の頃ことか中学校の頃ことか定かではありませんが、志賀直哉の「小僧の神様」(1920年、大正9年の短編小説)を読んだ時に、マグロの寿司が食えなかった小僧にいたく同情したことを覚えています。昭和20年代前半では、マグロ寿司は最高のご馳走でした。
1973年頃、サンパウロ時代の話です。
赴任したばかりで現地事情に疎い私は、昭和初期に移民したOさんに色々とお世話になりました。ある時、日本料理屋で会食した時のことです。刺身を食べながらOさんが、
「日本人は、何時から皆が刺身を食べるようになったのかね?」
と訊ねました。
日本人は皆刺身を食べるのは当然と思っていた東京育ちの私は、その質問に戸惑いました。
Oさんによると、移民する時の神戸でのお別れ会では、刺身を食べる人は2割もいなかったような気がする、大部分が干物の方に集まっていた、とのことでした。
確かに、刺身は、海の近くに住む人だけしか食べられませんでした。昭和初期には、日本人の一部しか刺身の味を知らなかったのです。
中高時代に住んでいた麻布十番から六本木にかけて、寿司屋は3〜4軒程度しかなかったと思います。寿司は高級食品で、誰でも食べられるものではありませんでした。
麻布十番の寿司の味しか知らなかった私は、築地の友人宅で取ってくれた寿司の旨さに驚きました。両者には厳然とした格差がありました。
修学旅行で行った日光の旅館では、刺身ではなく鯉の洗いが出ました。箱根では刺身が出ましたが、大丈夫かなと思いながら食べたものです。
その後登場したコールドチェーンによって、冷凍したまま運ぶ技術が普及して、日本中、何処でも刺身を食べられるようになったのです。これが日本に普及したのは、昭和40年代半ば(1970年)前後のことではなかったかと思います。
Oさんに言われて気がついたのですが、日本中に生魚が行き届く様になったのは、わずか40年前頃のことなのです。
冷凍技術の発達もあって、高級食品の寿司は、庶民的なものになりました。寿司の王様マグロの消費は飛躍的に伸びたようです。
日本人だけではありません。グルメの欧米人も食べます。
最近は、中国人がマグロの味を覚えたということのようです。
消費量の拡大に伴って、冷凍マグロは投機の対象にもなっています。資源保護に乗り出すのは良いタイミングなのではないかと思います。
一方では、
マグロの養殖技術も完成に近づいているようで、新しいビジネスチャンスが生まれる可能性もあります。
寿司は好物です。しかし。これ程に普及してしまうと異様に感じてしまいます。
地中海から冷凍して運び、解凍して家庭やレストランに届くものは、フードマイレージの観点からも好ましいものではありません。
この画像を提供いただいた青森漁協の「大間マグロ」のように、近海の一本釣りで取れたものを、時々楽しむような食生活に戻ることは出来ないのでしょうか。
グルメにも、ブレーキが必要な時代になりました。