CALENDAR
S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< March 2010 >>

LINKS
PROFILE
ARCHIVES
CATEGORIES
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
神々の黄昏
JUGEMテーマ:音楽

昨日は、前回の「ジークフリート」に続いて、リヒヤルト・ワグナー作曲楽劇『ニーベルングの指環』4部作最終章「神々の黄昏」を観て、深い感動に浸りました。
マチネーで、午後2時開宴、8時15分終演、途中に45分間の休憩2回を挟んで、実に6時間15分に及ぶオペラでした。
この作品の公演は、企画する人、その準備に当たる人、演奏する人などこれに関わる人たちに全てにとって、大変なエネルギーを必要と思いますが、昨日が5日間の公演の最後であったためでしょうか、立派な公演に出来上がっていました。
聴く側にとっても、長時間の集中が要り、体力が求められる公演でしたが、ワグナーの音楽に強く打たれ、心地よい疲れが残りました。
招聘された主役のワグネリアン歌手たち、競演した日本人歌手たちも遜色なく頑張っていました。ワグナーの重厚な音を奏でたオケ(東フィル)も素晴らしかったと思います。
これ程のものを観ずして人生を終わることは出来ない、まだこれを楽しめる体力のあるうちに観ることが出来て本当に良かったと思いました。

地上の人が求めた権力と欲望、それを実現するための権謀術策によって、愛や平和は打ち砕かれ、全てのものが失われていくフィナーレで、平穏な時代に戻ることを示唆していますが、現代と重ね合わせて、極めて現代的な意味をも感じるドラマでした。

ゲルマンに伝わる神話から物語が作られているようですが、キリスト教の香りは全くしません。その代わり、部族間の争い、闘いは熾烈を極めたことを伺わせる物語です。私たちは、欧州人、アメリカ人を理解するのにキリスト教に目を向けますが、改めて、キリスト教以前から連綿と続いているゲルマン精神を軽く見ることは出来ないと思いました。
彼らは、権力と欲望のためには、犯しがたいことも犯す血を引いていると感じるのは、少し過剰な受け取り方なのでしょうか。
| 音楽 | 17:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
国家意識のない政府
送信者 橘フォト4
(多摩川の小さな州の水鳥たち)

今朝の、8党首が出るテレビ朝日サンダープロジェクトを見ていて、腹が立ってきたので、途中から見るのを止めてしまいました。
あの様な低劣な議論を聞いていると、身体に良くありません。チャンネルを他に回すのが正解です。

かねがね腹が立っていたことは、与党の誰にも国家という意識がないことです。従って、国益への配慮がなされません。
政府の基本的な責務は、国家、国民の安全の確保と、国家のあり方に沿った財政の運営です。
国家国民の安全の確保には、外交、防衛、警察、保健衛生および国家を形成する国民の教育があります。財政は、これらの目標に沿って運営されるべきものです。
平和が大事だと云っても、その平和は先ず一時的には国家単位で達成されなければなりません。そのためには、外交が重要ですし、防衛力も備えなければなりません。その辺の意識や分析が欠けているので、普天間基地の移転問題、核持ち込み密約問題などでは、同盟国である米国が敵のような感じになった議論になってしまっています。
同盟国米国が悪い国で、日本が備えを忘れてはならない東アジア諸国が良い国のように、逆立ちした議論が公然と行われ実行に移されています。

そして今日のTVで腹が立つのは、余りにも無知な政府が、余りにも無知な国民を騙すがごときことが行われています。
折角実現した郵政民営化を引き戻し国家の関与を大きくしたり、郵便貯金の限度額を引き上げようとしたり、日本郵政を集票機関とするための無茶なことが行われようとしています。さすがにこれは、閣内にも異論が続出しているようですが、リーダーが鳩山由紀夫という何枚も舌を持っている人だけに予断を許しません。
議論を聞いていると、限度額を引き上げた場合には、民間金融機関と郵便貯金の間の信用格差から、金融市場の資金の流れに大きな変化をもたらす可能性があることを明確に指摘する人がいません。単なる競争関係で捉えている議論しかありませんでした。
民主党を代表して菅副総理、財務大臣が出ていましたが、大量国債の発行、流通の基盤となる金融資本市場に大きな影響を与えることであるにもかかわらず、その様な観点からの議論もなく、亀井金融、郵政担当大臣との低劣な言い合いに終始していました。
これだけ国債発行を増やし、将来の収拾の見込みも示せない状態では、金融資本市場を健全な形で維持育成することは、最も大事な経済のテーマだと思います。

考えの異なる人たちの数合わせで出来上がっている現在の与党は、相当なレベルで無責任で、無知で、破廉恥です。
自分たちが権力の座に居座るためには、将来の国家のことなぞ少しも考えていません。国民を食い物にする政権だと思います。
早く消えてなくなって欲しいと願っています。
| 政治、外交 | 18:56 | comments(2) | trackbacks(0) |
帰ってきた高橋由伸
送信者 橘フォト4
(井の頭公園の桜は未だ二分咲き)
JUGEMテーマ:スポーツ

いよいよプロ野球セ・リーグが開幕しました。桜と共にやってくるプロ野球の開幕は、毎年、私が楽しみにしていることです。

今年の巨人軍は、本日の対ヤクルト開幕戦に4−1で快勝しました。
エース内海からクローザーのクルーンへの完璧な投手リレーでヤクルト打線をエラーによる1点に抑え、打っては、単打11本のつなぐ野球でしぶとく加点しました。さい先の良いスタートです。

巨人ファンにとって嬉しかったことは、この2年間、腰痛のため活躍できなかった高橋由伸選手が、腰にメスを入れ、懸命なリハビリを乗り越えて、開幕スタメンで戻ってきたことです。
由伸選手がコールされると割れんばかりの歓声が湧き、タイムリーを打った瞬間には一段と高まりました。多くの巨人ファンは、由伸選手のカムバックを、私と同じように喜んでいたようでした。
本日の4点のうち3点は、恐怖の下位打線と呼ばれはじめた7番阿部選手と8番由伸選手が挙げたものです。

由伸選手の復活で、巨人の打線が一段と厚みを増しました。
そして、昨年の巨人に欠けていた華が加わりました。由伸選手には、他の選手にない華があります。長嶋巨人時代を懐かしむ巨人ファンが多いと思いますが、あの頃の巨人には華がありました。
長嶋監督を筆頭に、野手に松井、高橋由伸、仁志、二岡、投手に桑田、上原など華のある選手が揃っていました。その様な顔触れの中にあっても、野手の中で華という点では由伸選手が一番でした。
昨年の原巨人では、華を感じさせるのは原監督だけでした。選手は、皆まじめな野球職人ですが、華を感じさせてくれる人は居ませんでした。
そこへ、長嶋巨人の香りを持った華のある由伸選手が戻ってきたことは、チームの人気を一段と引き上げることになりそうな感じがします。

彼は、打力面はもちろんのこと、守備面、走力面も備えた実力選手です。
長嶋監督をして「天才」と言わしめたものを持っています。腰痛との闘いを通して、技術的にも、精神的にも一皮剥けて帰ってきたのではないかと期待しています。
願わくば、養生をしながら、シーズンを通して活躍して欲しいと思います。


| スポーツ | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
憲政史上最も破廉恥な政権
送信者 橘フォト4

来年度予算の成立によって、日本の暗黒時代へのアクセルが踏まれることになるでしょう。

これまで、安倍内閣の時に、「暗黒の時代に入るのか」で、民主党が政権を取っても、日米関係が悪化し、中国には上手に扱われてしまうのではないかと危惧しました。
現実に民主党政権になってみると、外交面はもちろんのこと、内政面からも現政権による日本破壊が進んでいます。
福田内閣の時には、「日本は放電の時代に」で、日本は、明らかに放電の時代に入ってしまったことを嘆きました。

現政権には、志がなく、理もなく、あるのは、権力維持への野心のみの集団と化しています。暗黒時代へのアクセルが深く踏み込まれました。
政権奪取と共に、多くのテーブルをひっくり返し、その後に古くさいちゃぶ台を据えて歩くような政治がはじまりました。暗黒の縁を彷徨っていた日本は、這い出せない穴に、完全に踏み込んでしまったように思います。

郵政改革は後戻りして、日本郵政は、選挙の際の集票機関として再セットアップされつつあります。
財政は、国債で集めた金を高校生以下の子供を持つ家庭に配布して、買収にかかっています。その結果、将来その道具に使われた子供たち世代に償還負担となって跳ね返ってきます。全て、現政権が、権力の地位に居続けたいという発想からの政策です。
国民に嘘をついて政権を奪取し、自分たちの政権維持のための仕組みを構築するように財政を運営しはじめています。
この様な破廉恥な政権は、憲政史上見たことがありません。

まともな人たちが纏まって、この政権と戦う道はないのでしょうか。

それが、今の日本に最も求められていることだと思います。
| 政治、外交 | 13:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
72回目の誕生日
送信者 橘フォト4
JUGEMテーマ:健康

昨年のこの日の写真も山椒の新芽でした。今、我が家の庭先で最も春を感じさせてくれるのはこれです。

早いもので、あっという間に一年が過ぎて72回目の誕生日と相成りました。
お陰様で、比較的健康にも恵まれた一年でした。それでも、昨年の71回目の誕生日のブログに「70歳過ぎたら、残る人生は、改めて一年毎に、石を一枚つずつ積んでいくようなものだと思」うと書きましたが、この日を迎えて振り返ってみると、何とか一枚の石を積み上げることができたというのが実感です。残念ながら、体力、知力が衰えていくのを実感しながらの一年でした。

72歳は、還暦プラス12年です。
この一回りは、60歳代には意外と長いように思っていましたが、振り返ってみると早かったように感じます。
行動力が落ちて生活に変化がなかったからでしょうか。
それとも、新しいことに感動する力が乏しくなったためでしょうか。
様々な出来事をすぐに忘れてしまうからでしょうか。
恐らく、そのいずれも時の過ぎ去ることを早めるのだと思います。
もし、次の一回りを生きられたとしても、感覚的にはとても近い将来のことになるでしょう。

禁煙に成功して30年になります。
茅野に縁が出来てやはり30年です。
花粉症が発症して30年です(涙)。
やはり節目の年です。

もはや、世のために何かをする力はありませんが、世の中が見当違いなことに関心を持って、肝腎なことを疎かにしていることに歯がゆさを感じています。

今、最も大事なことは、どうしたら雇用を拡大できるかではないでしょうか。そのためには、パイを大きくするための政策を実行しなければなりません。
徹底的な規制廃止や緩和によって投資環境を整えること、国内資本の投資のみならず、海外からの投資促進のための思い切った税制を導入することに尽きるのだと思います。
主要国はこの方向で努力をしていますが、日本の政治がこの様な認識になるのに、何年かかるのでしょうか。やはり、失業率が今の2倍の10%台に乗らないと気がつかないのでしょうか。
これらの政策は、鳩山政権には全く期待できませんが。

今日から、また新しい石を積み上げる努力を致します。
無事、次の誕生日を迎えられるでしょうか。
一年後の日本は、どうなっているのでしょうか。
| 身辺雑話 | 00:00 | comments(4) | trackbacks(0) |
エッ!デノミ考えていたの

(100米ドル=10円 or 100円?)

鳩山首相は、デノミネーションを考えていたようです。NIKKEI NETによれば、

鳩山由紀夫首相が昨年9月の政権発足後、デノミネーション(通貨呼称単位の変更)を検討していたことが18日、明らかになった。周辺によると、首相は「政権交代の象徴として藤井裕久財務相に頼んでいたが(1月に辞任して)いなくなってしまった」と漏らしたという。デノミ論議は過去にも浮上したことがあるが、景気対策としての効果が不透明などの理由で立ち消えになってきた。(11:34)

そうです。

基軸通貨米ドルに対して、3桁になる期間が多かったこともあって、経済、金融に強い福田赳夫首相時代に100円=1新円のデノミ論がありました。円の国際的な威信を考えてのことだったと思います。
その後は、余り議論されなかったように思いますが、日本経済が強い成長力を持っていた時代には、一時的な、内需振興策として意識されていた施策の一つでした。

デノミは、インフレが進行し、通貨価値が下落して、経済活動に支障を来すような場合に行われます。日常生活に高額紙幣が沢山必要になれば、不便になりますからデノミの必要性が出てきます。
ところが、日本円は、世界で最も安定している通貨の一つです。デノミの必要性は全くありません。
一時的に内需振興にはなりますが、その分コストに跳ね返ります。政府、企業、個人が、それぞれその負担に耐えなければなりません。インフレとは正反対のデフレ下でこれを実行すれば、経済を殺しかねない劇薬になります。
政府の信頼度が落ちているために、戦後の新円切替のイメージと重なり、パニックになりかねません。

鳩山首相はデノミのどの点に興味を持ったのでしょうか。藤井元財務相は、この様に軽くいなすとは思いますが、無知の菅財務相では乗りかねません。しかし、まともな財務官僚はこれに同調することはないと思いますから、先ず実現の可能性はないでしょう。

国内だけ考えれば、152円を1円52銭とするよりは、152円の儘の方が遙かに便利です。
為替レートが、1米ドル=115円だとしても、日本人は計算に強いので、仕事では全く支障はないと思います。海外旅行で換算に苦労するかとは思いますが、計算が苦手の人は電卓を使えばよいのですから、これも大したことではありません。
瞬時に決断する為替市場などでは、115円の場合には、one fifteenなどと呼んで、デノミをやったのと同じようになっています。

デノミが最も良く行われたのは、ラテンアメリカ諸国です。
財政赤字の垂れ流しで、通貨価値の下落が酷く、しばしば、円で云えば、1000円=1新円のデノミを実行します。1新円未満は2〜3桁になります。昔の円で云えば、銭、場合によっては厘まで使われることになります。西洋社会は、3桁ごとに区切って数えますから、デノミの単位は3桁が普通です。one thousandがoneになるだけですから簡単ですが、混乱は避けられません。
最近では、北朝鮮がやって失敗したようですが、いずれにしても一流国家のやることではありません。

この内閣は、他のことも、この様なレベルでやっているのでしょうか。
| 経済ビジネス | 00:00 | comments(2) | trackbacks(0) |
クロマグロで揉めているが

青森県漁業協同組合連合会ホームページより)
JUGEMテーマ:グルメ

小学校の頃ことか中学校の頃ことか定かではありませんが、志賀直哉の「小僧の神様」(1920年、大正9年の短編小説)を読んだ時に、マグロの寿司が食えなかった小僧にいたく同情したことを覚えています。昭和20年代前半では、マグロ寿司は最高のご馳走でした。

1973年頃、サンパウロ時代の話です。
赴任したばかりで現地事情に疎い私は、昭和初期に移民したOさんに色々とお世話になりました。ある時、日本料理屋で会食した時のことです。刺身を食べながらOさんが、
「日本人は、何時から皆が刺身を食べるようになったのかね?」
と訊ねました。
日本人は皆刺身を食べるのは当然と思っていた東京育ちの私は、その質問に戸惑いました。
Oさんによると、移民する時の神戸でのお別れ会では、刺身を食べる人は2割もいなかったような気がする、大部分が干物の方に集まっていた、とのことでした。
確かに、刺身は、海の近くに住む人だけしか食べられませんでした。昭和初期には、日本人の一部しか刺身の味を知らなかったのです。

中高時代に住んでいた麻布十番から六本木にかけて、寿司屋は3〜4軒程度しかなかったと思います。寿司は高級食品で、誰でも食べられるものではありませんでした。
麻布十番の寿司の味しか知らなかった私は、築地の友人宅で取ってくれた寿司の旨さに驚きました。両者には厳然とした格差がありました。
修学旅行で行った日光の旅館では、刺身ではなく鯉の洗いが出ました。箱根では刺身が出ましたが、大丈夫かなと思いながら食べたものです。
その後登場したコールドチェーンによって、冷凍したまま運ぶ技術が普及して、日本中、何処でも刺身を食べられるようになったのです。これが日本に普及したのは、昭和40年代半ば(1970年)前後のことではなかったかと思います。

Oさんに言われて気がついたのですが、日本中に生魚が行き届く様になったのは、わずか40年前頃のことなのです。
冷凍技術の発達もあって、高級食品の寿司は、庶民的なものになりました。寿司の王様マグロの消費は飛躍的に伸びたようです。
日本人だけではありません。グルメの欧米人も食べます。
最近は、中国人がマグロの味を覚えたということのようです。
消費量の拡大に伴って、冷凍マグロは投機の対象にもなっています。資源保護に乗り出すのは良いタイミングなのではないかと思います。
一方では、マグロの養殖技術も完成に近づいているようで、新しいビジネスチャンスが生まれる可能性もあります。

寿司は好物です。しかし。これ程に普及してしまうと異様に感じてしまいます。
地中海から冷凍して運び、解凍して家庭やレストランに届くものは、フードマイレージの観点からも好ましいものではありません。
この画像を提供いただいた青森漁協の「大間マグロ」のように、近海の一本釣りで取れたものを、時々楽しむような食生活に戻ることは出来ないのでしょうか。

グルメにも、ブレーキが必要な時代になりました。
| 料理、酒 | 12:56 | comments(2) | trackbacks(0) |
知識階級の崩壊
送信者 橘フォト4

NHK大河ドラマ「竜馬伝」を観ながら考えました。

明治維新を可能としたものは何だったのかに思いを馳せました。
その一つに、武士階級が十分にその役割りを果たしたのではないかと思います。武士階級は、一握りの上層部が政治家であり、それ以外は官僚でした。同時に、知識階級でもありました。
閉ざされていた世界に目を向け、素早く対応し、富国強兵などの国家の目標を設定し実行に移しました。黒船来航から日露戦争の勝利までの約40年間は、世界に類のない効率で近代化を達成した期間ではなかったかと思います。この様なことを可能としたのは、旧武士階級を中心とした、知識階級のリーダーシップがしっかりしていたからだと思います。
ただし、明治政府は、天皇の周辺を当時の知識階級から選んだ官僚で固めた政体であったために、その属性を固定化し、昭和の軍官僚による太平洋戦争への道を辿ってしまいました。そして、明治以来の官僚支配体制は、今日まで引き継がれています。

日本の情けない現状を見ていて気づくことは、この国の近代化を主導した嘗ての知識階級が崩壊してしまっていることです。知識を持っている人たちは、沢山存在します。しかし、その知識に見合った志を持っている人が乏しいのではないでしょうか。識見に志が加わって初めてリーダーシップに繋がります。
維新後の官僚体制は効率的に機能しました。戦後の復興が順調だったことも、官僚の働きによるところが多いのだと思っています。
しかし、官僚体制は、時間が経過すると、硬直化し、腐敗しがちです。そして、官僚が主導権を持っていると政治家が育ちません。
とは云え、官僚は、優秀な人たちの集団です。自民党が長期に亘って政権を維持できたのは、官僚とのタイアップのお陰でした。

民主党中心の政権に交代して、政治主導を標榜していますが、学級会内閣と揶揄される程に、お粗末なスタートです。
政治の基本スタンスが、どうやら野党時代の儘ではないかと思われることが沢山起こっています。
国家の基本目標か?
防衛政策は?
外交方針は?
財政方針は?etc

鳩山総理の無能振りは、目を覆うばかりです。どうしてこの様な人を選んでしまったのでしょう。この人から志を感じることが出来ません。麻生前総理は、ここまで酷くはなかったと思います。
政治主導を声高に叫んで財務省に乗り込んだ菅大臣は、財政に関しては全くと云って良い程のズブの素人、それで政治主導が出来る筈がありません。国会の答弁や、記者会見を見ていると、財務官僚のレクチャーを消化するのが精一杯で、本質が分かってないことが隙間見えてきます。人の話を聞いていて居眠りをしてしまう人は、人の言うことを聞く能力が相当に落ち込んだ人です。自分本位な人だと思って間違いありません。あれやこれやで、ただの政治屋であることがハッキリしてしまいました。
その他の閣僚も、原理主義的で、教条的、子供大臣的です。現実を見て自分の認識を変える能力に乏しい人たちが多いように思われます。

これだったら、官僚の方が明らかにマシです。
連立三党の党首は、全て東大卒、閣僚にも高学歴者多数の内閣です。この人たちがやっていることを見ていると、日本の知識階級は、完全に崩壊したと思えてきます。そして、それが日本の今日の衰退を招いているのだ、と納得してしまいます。
| - | 12:57 | comments(2) | trackbacks(0) |
民族主義段階の国
我が国のご近所は、韓国、北朝鮮はもちろんのこと、中国も含めて未だ民族主義に拘る発展段階にあります。
そのため、民族の歴史を歪曲したり、近隣の民族との比較に熱心な段階です。特に、韓国は経済が発展してライフスタイルが先進国型になってきたため、他国との比較に熱心です。そして、他国が自分たちの国をどのようにみているかを非常に気にします。自分たちが誇りとするものの発掘に懸命です。

こと料理に関しては、ミシェラン・ガイドブックの日本版が登場した時には、韓国料理が採り上げられないのがとても残念そうでした。その際の韓国紙の記事は、韓国レストラン経営者に対する厳しい批判が中心だったように思います。
レストランの雰囲気、料理、アテンド、価格など多角的な評価に耐えうるのは、どの民族の料理でも大変なことでしょう。しかも、これはフランス人が決めているのですから、これに採り上げられなかったとしてもそんなに気にすることはありません。

日本の家庭料理は、和洋中に、一部韓の要素が加わって出来ているように思いますがいかがでしょうか。
韓国料理は、日本人に馴染みやすいものです。私も好きです。だからといって、毎食韓国料理を食べることには抵抗があります。それは韓国を旅行した時くらいです。キムチは美味しいと思いますが、これも偶に食べるからだと思います。食後や、翌日の社交上問題がない時に、気分転換に、偶に食べる程度のお付き合いです。

この記事を見ると、韓国は国が乗り出していますね。
つくづく、ああ、まだ民族主義の段階だな、と思いました。
韓国人のコロニーが世界各地に出来ていますが、韓国料理は、日本料理や中華料理のような市民権を得てはいないようです。世界の人々に受け入れられるものであれば、これだけ情報化し、人の移動が活発な時代ですから、必ず広まります。
そうでないとすれば、気の毒ですが、韓国料理は個性がありすぎて、世界的にポピュラーな存在にはなりにくいのではないかと思います。数あるエスニック料理の一部に位置づけられているのではないでしょうか。

日本料理が世界的に好まれるようになったのは、朝鮮戦争、ベトナム戦争などで、多くの米国人が醤油の味を覚えて帰ったことがベースになったようです。米国で普及し、やがて欧州でもポピュラーになりつつあります。米国では、いち早く醤油の生産も行われました。
ソフィスチケートされた料理として、フランス料理にも大きな影響を与えました。
最も味覚が発達した民族がベースになって、板前の職人芸がそれに応えた風土から生まれ、そして世界へと旅立ったものです。
政府が後押しすることもなく、時間をかけて自然に世界に広まりました。
JUGEMテーマ:グルメ


| 料理、酒 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
ポスト失われた20年
送信者 橘フォト4

失われた10年と呼ばれていたのが、昨今は、失われた20年と呼ばれているようです。
1989年末をピークに、翌1990年からバブルが崩壊しました。、今年でバブル崩壊開始以来20年になります。その間、最初のうちは、一部にバブルの余韻のようなものが残っていましたが、一言で言えば、沈滞感、不況感、閉塞感に満ちた時代が、かれこれ20年続きました。
これほど長く続くと、次の10年も、次の次の10年も、同じような状況が続くのではないか、或いは、もっと悪い時代がやってくるのではないか、と危惧されてきます。

私は、バブルのピーク1989年には、51才でした。
バブルの崩壊の初めの頃は、多くのビジネスマンが考えているよりは厳しいものを予想していましたが、それでもそれまでのバブルの調整が進み、併せてて適切な政策が行われれば、日本が底力を発揮して、再び手堅い成長路線に戻れるのではないかと思っていました。それまでのビジネス人生の体験からそう感じたものです。

しかし、肝心の政策が駄目でした。政、官、財の既得権益グループに振り回されました。
構造改革は、かけ声だけで一向に進みませんでした。バブル期の構造を残したまま、財政による景気刺激を繰り返しては財政を疲弊させ、規制撤廃や緩和によるビジネス環境の開放も進まず、投資妙味の少ない経済社会の儘、遂に、民主党を中心とする左派へと政権を渡してしまいました。
鳩山政権の最初の予算は、税収より、国債発行額の方が多い、という異常なものになっています。社会主義的発想の政策のために、血税が浪費されはじめ、財政の劣化が一段と拍車をかけられはじめました。これから良くなる目は、私には全く見えなくなりました。

しかし、20年もの間、後退はあっても前進力に乏しい成長のない時代が続くと、若者にとっては、この様な時代が普通になっている筈です。その若者たちの将来を見る目はどうなのでしょうか。

努力が報われない社会と映るのでしょうか。
海外志向が減って、内向きになっていると報じられていますが、それは事実なのでしょうか。
報われない社会と感じていれば、日本から脱出した方が良いと思いますが、どうなのでしょうか。
停滞を停滞と感じないことは、逞しさと感じる面と、向上への意欲が薄いと感じる面とがあります。そのどちらなのでしょうか。

若者たちに期待するしかありませんが、我が国が、高齢者を抱えて、人口も減少する中、どのような国になって行くのか想像も出来ません。
失われた20年より悲惨なanother decadeが待っているのでしょうか。

このままでは、誰も見通せない中で、配分の無駄遣いが続けられていくことになりそうです。そして国民は、益々政府に縋るようになってきます。

私は、欧米並みに失業率を10%程度とする覚悟を持って、出血を伴っても、規制撤廃、緩和を進め、ビジネス環境を開放的なものにすべきだと思います。
それがなければ、日本経済は立ち直れません。その様なことに政治(国民)が目覚めることがあるのでしょうか。
| 経済ビジネス | 15:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
| 1/2PAGES | >>