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まあまあの一年だが
送信者 橘フォト4

個人的には、まあまあの一年でした。

良かったことは、
1.10月頃、やや体調が優れないことがありましたが、一年を通して、夫婦揃って概して健康でした。風邪ひとつ引かないで済みました。我が家としては珍しいことです。
2.趣味の面では、それまで敬遠していたバッハの世界に入れたことが大きかったと思っています。10月のヨハネ受難曲の公演に合唱団の一員として参加して、音楽の中からバッハに触れることが出来ました。11月から、次のマタイ受難曲の練習に取り組んでいます。
などです。

その代わり、海外旅行も国内旅行もしない一年でした。それだけ落ち着いた生活をしていたとも云えます。

このブログで再三触れたように、世界や日本の政治、経済、社会の状況については、昨年に引き続いて強いストレスの溜まる一年でした。
日本の政治、経済、社会の劣化の度合いは、目を覆いたくなるような状況で、戦後営々として築いてきた大事なものが次から次に失われていきます。
かつて、バブル時代の企業の中で同じようなことを感じた時期がありました。
暴走が始まり、戦後生まれの人たちのエネルギーを飲み込んで、それまで大事にしていた企業経営の矜持のようなものが瞬く間に失われていくのをこの目で見てきました。ここ何年かの日本の政治、社会を見ていると、同じようなことを感じます。特に、政権交代した今年は、政権が何を目指しているかすら感じ取ることが出来ません。

私には、もう見えなくなってしまいましたが、経済界には、この混乱をを乗り越えるものが何か残っているのではないかと密かに期待しています。

拙いブログにお付き合いをいただいて有り難うございました。
来年も宜しくお願い申し上げます。
皆様、良いお年をお迎え下さい。
| 身辺雑話 | 18:07 | comments(2) | trackbacks(0) |
ネット接続回線変更
送信者 橘フォト4
(パンパスグラス イネ科 アルゼンチン、ブラジル南部)
JUGEMテーマ:コンピュータ

約6年半の間利用していた光回線が、来年3月にサービス終了になることになり、プロバイダーのキャンペーンにのって、回線業者を変更することにし、本日その工事が完了しました。

初めは、64KbsのISDN回線のダイアルアップでインターネットを楽しんでいました。

01年4月、当地区で東京メタリック通信のxDSL接続サービスが始まると同時に、これに乗り換えました。接続スピードは、1.100〜1.200Mbpsと飛躍的に上がり、いよいよブロードバンド時代の始まりだ、と興奮したものです。しかし、この会社は間もなく倒産し、事業はヤフーに吸収されました。
ヤフーからは、再三に亘り、ヤフー固有のサービスに乗り換えるようにとの勧奨を受けていましたが、xDSL接続の先駆者東京メタリック通信のドメインも捨てがたく、最後まで頑張りました。

その頃は、NTT、有線サービス(現在のGYAO)に続いて、東京電力(Tepco)を初めとする電力会社も光通信(Ftth)に進出し、xDSLを追ってFtthも急速に普及し出しました。運良く、東京メタリック通信のサービスが終わる直前、Tepco光回線の営業区域に入りました。03年6月、順番待ちの結果、憧れの光回線が開通しました。
Tepcoの光回線は、他の2社のサービスと違って、100Mpbsの帯域の回線を専用に確保できます。速いと同時に安定性も抜群です。これまで、1.1〜1.2Mpbsの回線でしたので、これもまた夢のようなスピードでした。

お陰様で、それ以来ストレスのないネットライフを楽しんできました。
しかし、Tepcoは、新潟沖地震による柏崎原発の事故処理の問題を契機に、Ftth事業のボルテージが下がり、その部分を分社化し、ついにKDDIに譲渡してしまいました。
「Tepcoひかり100」は、「ひかりONE100」に変わり、旧Tepcoひかり100は、ひかりONE100Tと呼ばれ、100Mpbsの帯域の回線を専用は確保されましたが、新しい募集はしなくなりました。そして、予想していたことですが、来年3月、ひかりONE100Tはサービス終了となることが通告されました。

ベンチャー東京メタリック通信は、市場の急拡大で、経営が乱れ消えて行きました。
超大企業東京電力は、当初の光ファイバー敷設ではNTTより優位な電柱網を持ちながら、武家の商法で、NTTを追う気概を感じませんでした。
そしてそれを譲り受けたKDDIは、とどのつまりはミニNTT化し、新しい発想が出ていません。採算に合わないひかりONE100Tを終了させるのは、当然の帰結だったのでしょう。

今日から、、「フレッツ光ネクスト・ファミリー・ハイスピードタイプ」という回線になりました。8人で、200Mpbsの帯域を共有するそうです。
我が家のLANは、100Mpbsを前提に出来上がっていますので、200Mpbsのスピードはエンジョイできていませんが、それらを改善しても、恐らくこれはグレードダウンだと感じることになるでしょう。不本意ながら、何年かこれで我慢しようと考えています。

| 電脳電網 | 22:58 | comments(2) | trackbacks(0) |
汗のかき納め
送信者 橘フォト4

ビジネスマン時代の健康法は、ウイークエンドジョギングでした。
1977年サンパウロ時代、サンパウロ大学構内で始めたジョギングは、それから20年余健康法の中心になりました。
当時、建設会社兼ディベロッパーの責任者として、オイルショック後のブラジル事業の収拾に苦労していました。若手日本人に誘われてサンパウロ大学構内でのジョギングに参加している内に、ストレス解消法として素晴らしいものがあることが分かりました。
サンパウロではサンパウロ大学構内、東京では東八道路から野川公園、ロンドンではハイドパークを走りました。出張に際しては、ホテルの近所を走りました。

2000年頃から、膝に違和感を感じるようになりました。整形外科の医師からは、膝に負担がかからないように、走ることは止めウオーキングにしなさい、との指導を受けました。そのように努力してみましたが、走ることが習慣になっていた人が歩いても、少しも面白くありません。
試行錯誤している内に、私には、スポーツクラブでの筋トレとトレッドマシンによるウオーキングの組み合わせが合っていることが分かりました。

以来、約9年間スポーツクラブに通っています。
出来れば、週2回ぐらいはと考えていますが、それはなかなか出来ません。
70才過ぎた頃から、体力的にも、クラブでの運動後夕食会に参加するようなことは難しくなってきています。そのようなことは避けて、スポーツクラブの日はそれだけにして、一日一イベントを守るようにしています。

この程度のことで、一応の健康を維持できていますので、有り難いことだと思っています。
今日は、クラブの最終営業日でした。さすがに、来ている人は多くはありませんでした。
| スポーツ | 17:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
最悪のシナリオ小沢一郎総理?
送信者 橘フォト4

寒椿の写真を撮ってから気がついたのですが、葉の裏側に蝉の抜け殻が付いていました。暑さの盛りの蝉と、これから迎える寒が結びついて、図らずも、年の瀬を感じました。特に、夏の総選挙戦の最中を思い出します。

今日は、年末の私の分担の仕事を半分程片付けました。分担とは、窓ガラス拭きも含めて外回りの掃除などです。午前中は曇りでしたが、お昼頃から晴れて暖かくなりました。絶好の外掃除日和です。
一階部分の窓ガラス拭きと、軒下の猫の糞の始末(我が家には飼い猫はいませんが近所の飼い猫との戦いです)、道路から玄関のたたきに落ちた野鳥の糞の始末、玄関灯のガラス拭き、玄関の扉の掃除などを片付けましたが、進捗率は50%程度です。

この残りの仕事の他、29日に、KDDIからNTTへの光回線の切り替えをすることになっています。これについては、切り替え後ご報告します。これが上手く行かないと、正月、汗をかかないといけないので、やや緊張しています。
スポーツクラブの最終日(28日)には、一汗かいてこようかと思っています。

巷には、鳩山政権に対する批判、懸念が満ちあふれ、小沢一郎の皇室に対する思い上がり発言の批判、天皇の政治利用に対する各方面の懸念も報じられています。新聞は、散々政権交代に加担していながら、今頃批判しても遅いのですが、翼賛になっていないだけ評価します。ただし、意外と影響の大きいTVはまだ駄目ですね。

鳩山総理の脳天気な理想主義、豪腕小沢の野心が合体して、できあがりはナチス張りの独裁政権とならないように、しっかり監視して行きたいと思います。特に、鳩山政権には陰りが出てきましたが、小沢一郎が、総理への野心を燃やし始めたという説もあり、最悪の事態にならないように願っています。

自民党に、立ち直りの気配すら見られないので、対抗勢力がないのが心配です。
| 政治、外交 | 17:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
豆腐と豆腐がぶつかると
送信者 橘フォト4

何とも見通しが暗い年末を迎えそうです。

昨年末は、政府が、割合と速く動いて、その時点で政府にあったアイディアを実行に移しましたが、9月政権交代後、新政府は支出を削る話に執念を燃やして時間を費やしていました。
今日、来年度の予算大綱が決まったようですが、見るべき経済対策が出ていません。財政が景気の足を引っ張っているような状況だと思います。

先進諸外国も、失業者の増大に悩み、上手にやっていると感じるところはありません。世界が注目している中国などは、景気対策が新たなバブルを引き起こしているようで、複雑骨折直前のような感じではないでしょうか。

COP15を見ていて、今は、国家単位での守りの時代であることを強く感じました。
どの国も、余裕がない状態です。環境問題など異次元のテーマで合意することは当分の間は無理です。
10%の失業を抱える米国は、もはやこの様な問題でリーダーシップを取る力がないことを痛感させられました。
欧、米、日がこの問題で合意し、一丸となって他の国々と当たらない限り、この問題は解決の方向に向かいそうもありません。前の記事でも申し上げましたが、これは永遠に続く攻防戦です。

まず、国を治め、国の意見を纏めた上で外国との交渉に当たらねばなりません。
米国は、それが出来ていません。
日本は、そのプロセスを飛び越してしまっています。観念的には方向性は賛成でしょうが、国民が、具体的なイメージを持っていないのが大きな欠点です。いきなり、突出した削減目標を公約したり、技術や資金に向かって、先進国全体の半分を占める援助額を約束していますが、軽率です。
これは、それぞれの国が、、死にものぐるいで交渉し合って、初めて合意に達しうるのかどうか、という問題であることに気づいていないのではないでしょうか。

改めて、国単位の利益が大事な時代に入ったような気がします。
国民の生活をしっかり守る、それが政府の大事な役割です。軽々しく我々の血税での外国への援助など約束しないでもらいたいと思います。日本の財政は、大変な状況です。莫大な環境援助の余裕はありません。
諸外国に環境援助をし、相手の政府高官に賄賂が渡り、日本の政治家にキックバックが行われる、という構図が目に見えています。これが、日本の援助のフォーミュラだということを国民は忘れてはなりません。新しい腐敗のはじまりを予感します。
幹事長はしっかり計算していると思います。国内のゼネコン相手とは桁が違います。

豆腐の角に頭をぶつけて死ね、という言葉があります。
この政権は、豆腐のように捕まえどころがなく、フラジャイルである上に、この様な言葉を浴びせたくなります。
豆腐と豆腐がぶつかっても壊れますよね。
| 政治、外交 | 21:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
厳しかったCOP15
中国蘇州 左手が寒山寺

この写真は、2002年4月の中国蘇州の寒山寺近辺です。幽玄な風景に見えますが、スモッグによって煙っているものです。少し霧雨が降っていたかも知れませんが、この旅行では、随所でこの様な霞を見ました。
コペンハーゲンのCOP15での中国温家宝首相の演説の中で、「中国のエネルギー源は70%が石炭である」と述べていました。中国の環境の現実は厳しいものの、安易な合意は出来ないでしょう。

私がロンドンにはじめて行ったのは、1967年のことでした。その頃の英国のエネルギー源はそのような状態ではなかったでしょうか。ロンドンは、霧の中にありました。その当時は霧と云っていましたが、その後石炭の使用が制限されると、ロンドンは霧の街ではなくなりました。明らかに、霧ではなく、石炭燃焼の排気によるスモッグだったのです。
温家宝の話を聞きながら、最初に訪れた頃のロンドンを思い浮かべました。

それにしても、留意するとした合意文書で、地球の温度の上昇起点を産業革命に置いたのは、やり過ぎではなかったでしょうか。そのような学問的な話にしてしまうと、収拾が付かなくなってしまうように思います。
更に云えば、これから地球の温度は上がるという学者もいれば下がるという学者もいます。

気象、環境問題は、現実の被害の度合い、経済社会の発展段階の差、本質的に貧困問題を抱えているかどうか、自然環境に対する文明の違いなど、多様な立場を纏め上げることは大変なことです。それにもかかわらず、117カ国が集まったこと自体大きななことではなかったかと思います。関心の高さはそれぞれ様々でしょうが、急激な気象変動によって困っている国も多いのではないかと思います。
もし、国際的に具体的に何らかの取り決めがなされれば、それぞれの国にとって内政上の大きな負担になってきます。そして、多くの国が、この合意より、もっと複雑な国内事情を抱えています。

予想されたことではありましたが、COP15は、成功しませんでした。日経は、次のように伝えています。

【コペンハーゲン=竹内康雄】第15回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)は19日、2013年以降の国際的な地球温暖化対策(ポスト京都議定書)の方向性を示す「コペンハーゲン合意」をまとめた。先進国は20年までの温暖化ガス排出削減の中期目標を来年1月末までに約束し、新興・途上国も経済発展の段階に応じて削減計画を作成する。ただ一部の途上国の反対で正式採択を見送り、「合意に留意する」との文書を採択するにとどめた。以下略

辛うじて、次回に繋げたに過ぎません。

この問題は、永遠にせめぎ合いを続けなくてはならない問題です。国民的な議論もせず、フライイングによって裏付けのないい数字を持ち出し、国際公約にしてしまったのは、戦術として稚拙です。
今の日本国政府には、国民との約束のキャンセル、或いは外国政府との合意のキャンセルなどを続けていますが、これによって、日本政府の信用を著しく落としています。一度、国連の場で、世界に発信したことですからキャンセルできません。
条件付きといっても、数字は一人歩きします。
呼び水になればとの思いでやったことでしょうが、COP15によって、そのような生やさしいものではないことが明らかになりました。
今の政府の外交力では、リーダーシップを発揮することは無理です。
| 環境 | 22:44 | comments(2) | trackbacks(0) |
赤い帽子の松井秀喜選手
送信者 橘フォト4

エンゼルス移籍が決まった松井選手のこの写真を見て、この赤い帽子がよく似合うと思いました。顔も大きいし、頭も大きいし、全体として大柄な松井選手は、目立つ赤帽を自分の一部のように感じさせてしまいます。
この赤に近いバラの写真を捜しました。写真では、赤を上手に出すことが一番難しいように思います。両方とも、実際の色はもっと違っているかも知れませんが。

フリーエージェントで、巨人から飛び出し、自分が憧れていたヤンキースに絞って交渉しました。金銭的には、初めから不利な交渉であることを厭わず、自分の意志を通しました。
契約の最後の年である今年、ワールドシリーズMVPとなる活躍を見せて花を咲かせました。松井としては、出来ればヤンキースに残りたかったようですが、チームは松井選手の意図とは異なるDHとしての契約方針を出したため、外野手兼DHとして迎えるエンゼルスに移籍したようです。

サンスポの一問一答から

新しいユニホームを着た松井秀は晴れやかに語った。

 −エンゼルス入りを決断。
「新しい出発に非常にエキサイトしている。今まで身に付けてきたものを来年はエンゼルスのワールドチャンピオンのために全部出し切りたい」

 −ヤンキースを去る。
 「長い間プレーしたので強い気持ちはあった。長く一緒にいたから感謝の気持ちだけ。(古巣との対戦は)打席に立てば、打つだけ。それ以外にない」

 −決め手は。
「少しでも多くプレーしたい。そのために守備に戻りたい。そのチャンスを与えてくれたのが一番大きかった」

 中略

 −ソーシア監督と話した印象は。
「毎日プレーする機会を用意してくれ、外野の守備へのチャレンジを逆にしてほしいと言ってもらった」
以下略


ワールドシリーズMVPとなってヤンキースを去り、たとえ、年俸が半分になろうとも、外野手として認め4番の座を用意して迎えててくれるエンゼルスに移るのは、松井らしい意志決定ではなかったでしょうか。

松井選手が一皮も二皮も剥けたように思います。新しいチームに移って、ブレークしそうな予感がします。
| スポーツ | 12:35 | comments(4) | trackbacks(0) |
忍び寄る独裁政権
送信者 橘フォト4
(宝くじ売り場に群がるサラリーマン 新橋烏森口12/15 14.17))

政治は、日本の信用と、財力を放出しながら政権を維持して行く最悪のパターン、経済は無策で、デフレ脱却の議論さえされない、将来の見通しに全く明るいものはない、やっぱり頼るは、宝くじとなるのでしょう。よく売れるでしょうから、少しは財政に寄与するでしょう。これがマニフェストによるバラマキに活用される、なんだか健全ではありませんね。

毎日訪れ、大きな示唆をいただいている「雪斎の随想録」さんの今日のエントリーは、題して「拝啓、イチフ・オザーリン殿」でした。
小沢一郎の不学振りと過ちを分かり易く説明していただいています。率直に憤慨を表現されていました。
この記事で知ったのですが、小沢一郎が、ネット空間でオザーリンと呼ばれていることです。小沢とスターリンは同類のキャラで、このことからこの様に呼ばれているのでしょう。雪斎さんは、ヨシフ・スターリンのファーストネーム「ヨシフ」から、イチフ・オザーリンとしました。
そう思って、オザーリンでググってみたら、この時点で既に394件、雪斎さんの記事でどんどん増えつつあります。
強引な中国習近平副主席の天皇会見に関する宮内庁長官の苦言に対して、辞表を出せ云々の恫喝には、オザーリンのスターリン性が良く出ていました。多くの人が、不快感を覚えたと思います。

前のエントリー「小沢一郎の野望」で申し上げたように、権力=金、または、金=権力の考えが染み込んだ金と権力の権化小沢と、その顔色を窺っている頭でっかち坊ちゃん鳩山政権には困ったものです。日本の国力を一日一日殺ぎつつ、戦後、苦労して築き上げた立憲君主主義までも危機に追い込んでいます。
これでは日本が保ちません。

それにしても、まだ支持率60%近くというのはどうしたことでしょう。
日本人も、相当劣化してしまったのでしょうか。
| 政治、外交 | 21:38 | comments(4) | trackbacks(0) |
小沢一郎の野望
こんなことを考えてみました。小沢一郎という人は、会ったことなく全く知らない人です。、自由にゲスさせていただきました。

********************

相手が福田康夫なら行ける、と小沢は考えた。
衆議院の多数党である自民党と、参議院でもう少しで過半数を占める民主党が大連合で手を結べば、日本の政治は安定し、大胆な政策が実行出来る。もともとマスメディアの大物が仕掛けた話である。ドイツの大連合の後でもあることだし、彼らも前向きに捉え、好意的に扱うであろう。
小沢が考えているのは、大連合を成し遂げた後のことである。党首である福田を初めとして、その時点の自民党要人の顔触れであれば、必ず自分がリーダーシップを握れる、と確信したのである。民主党と、少数党である自由党が合併した後、いつの間にか民主党を牛耳ったように、今度もそのシナリオは容易に実現するだろうと思った。
しかし、この話は、足下の民主党の猛烈な反対に遭い、失敗に終わった。

もともと、小沢は、政策には関心がない。ただし、政治家の懐を潤すプロジェクトには敏感に反応する。それは、金がなくてはリーダーシップが獲れない、と強く確信しているからである。彼が狙っているのは、宰相のポストではない。日本の最高実力者、ドンの地位である。企業で云えば、実力会長の地位である。
自民党の安倍政権の自滅のお陰で、参議院の多数に近い数を確保できた。安部に続く福田、麻生の凡庸極まる政権のお陰で、総選挙に圧勝、衆議院の三分の二を確保した。小沢の長年の願望が成就に近いものとなった。しかし、念には念を入れ、少数党の社民党、国民新党との連立政権を作り上げた。これで、どのような法案も、両院を通過させることが出来る体制となった。何も怖いものはない。
民主党内では、政府は鳩山に、党務は小沢にという棲み分け体制を作り上げた。政策に関心のない小沢にとっては、政府の仕事は煩わしいだけである。三党連立の扇の要の位置を占め、議会も、政府も小沢の思う儘に動かせれば満足なのだ。
世間では、社民党や国民新党との連立は、次回参議院選挙で民主党が安定多数を獲得するまでの繋ぎだと見ているが、小沢の本心は、もしそうなっても三党連立を続けるるつもりでいる。それどころか、どこかで公明党も加えたいと考えている。
なぜなら、自分の味方は多い方が良い。
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| 政治、外交 | 00:00 | comments(2) | trackbacks(0) |
改めて生産性の向上
送信者 橘フォト4

庭先のこのもみじの写真は、一昨日のものです。
今日見ると、昨日の冷たい雨で、葉はすっかり落ちてしまっていました。記録を兼ねて、ここに掲載しておきます。

昨日は、高校同期の連中のゴルフ会でした。当初は、25人参加の予定でしたが、前日までに19人に減ってしまいました。絶望的な天気予報なので、前夜、幹事に電話しました。当日、現地で決めるが、恐らくコンペは中止にして、希望者だけ回ることになるだろう、だから無理をすることはない、とのことでした。
私は、ここのところ体調も良く、大学時代のクラスコンペで優勝した勢いで、一泡吹かせて旧友たちを驚かそうと満を持していたのですが、冬の雨には勝てず、幹事の言葉に甘えて、欠席することにしました。これで、今年のゴルフは終わりです。
結局、当日17人が集まりましたが、冷雨のため中止し、小パーティーをやって散会したそうです。

全く話題が変わりますが、私が、ボーイング727と並んで、最も搭乗したことが多かったのではないかと思われるYS−11が、最後のフライトを終えたそうです。全日空の後は、海保が使っていたのですね。WEBみんぽう苫小牧民報社の記事(12/9)です。

<機体の老朽化で、第一管区海上保安本部千歳航空基地のYS11A「おじろ」の2機が年度内に引退する。このうちの1機LA782号機が8日、最後の任務を終えた。
千歳基地配属は1971年と79年。ラストフライトのLA782号機は、72年に製造され、全日空で飛行した後、79年2月に同基地にやって来た。90年に、大やけどをしたコンスタンチン君を、ロシア・サハリンから丘珠空港まで緊急輸送したのもこの機だ。
 略
最後の飛行は、千歳基地から洞爺湖までの海岸線の警戒が任務。操縦桿(かん)を握った宍戸浩司機長もサハリンクルーで、「一番の思い出はやはりサハリンです」と話した。「操縦桿が固く融通が利かなかったが、頑丈でよい機体です」とも。残る1機も年度内に引退する。>


私がサンパウロに駐在した頃(1972年〜78年)は、主要工業製品は、日本からブラジルへの流れが普通でした。YS−11も、その流れに沿って輸出された時代でした。
それが今では、小型ジェット機をブラジルから輸入する時代になりました。物作りの国と自負する日本は、一脱皮も二脱皮も求められています。そして、物作りに頼って成長することも出来ません。国全体の生産性を上げること、そのためには、社会や政治の仕組みの改善と、国民の資質の引き上げが急務です。
知恵とリーダーシップを持った指導者が待望されます。
| 社会 | 11:35 | comments(2) | trackbacks(0) |
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