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大晦日のまとめ
一年を振り返ってみると、個人的には良い年でした。
人類、地球、世界、日本などというユニットで見ると、大きな転換期を迎えているように感じます。

個人的には、三つの良いと感じたことを揚げさせていただきます。

最初は、お陰様で元気に満70歳をクリアーできたことです。
私の両親は、いずれも満70歳を待たずに他界しています。ようやく親の歳を越えたと共に、早くこの世を去った両親の分まで、残る人生を元気に生きたいと思っています。
次に、長男夫婦に招かれて、ハワイで数日間を過ごさせてもらったことです。とても嬉しく思いました。私たち夫婦は、親を外国はおろか、国内旅行にも招いたことはありませんでした。そのような気持ちの余裕もありませんでした。この点に関しては、確実に長男夫婦は親を超えたということです。
最後に、これが最も大事なことかと思いますが、自分の宗教心に、納得のようなものを感じた年でもありました。ルーテル神学大学上村敏文先生の比較宗教学の講義とフィールドトリップで、自分が漠然と感じていた普通の日本人としての宗教心に自信のようなものが出来ました。何時も対峙していたキリスト教を、余裕を持って見ることが出来るようになりました。これは、私にとって大きな財産です。

このように、個人的には充実した嬉しい一年でしたが、取り巻く環境は芳しくありません。
環境問題に対する地球的な取り組みは遅々として進んでいません。そこに米国発の金融恐慌に端を発した世界同時大不況が始まりました。底の深さ、脱出への期間などは見当も付きません。
これは、安易な生活に慣れきってしまった日本人には堪えます。日本は、労働力不足の国であることが明らかなのに、ちょっとした需給ギャップを大げさに騒いで、良いことをしているような気分になっているマスメディアや政治を見ると、暗澹たる気分になります。程度は軽かった日本ですが、早く立ち直るかどうかは、社会と社会の競争です。欧米や、ハングリーな国に後れをとるのではないかと心配しています。

もう一つ、四川大地震や北京五輪で、中国の光と影がよく見えました。この不況は、中国にとって重く堪えるでしょうが、市場経済に参入し、GDPサイズも日本に迫り、人口は全人類の4分の一という超大国です。日本は、高い生活水準を達成した国として、欧米と利害が一致する面が多いのですが、地政学的には、中国と上手に向き合っていかなければなりません。
スイスがそうであるように、ハリネズミのような実力国家にでもならなければ、存続すら危うい時代がやってくるように感じます。これから、自立した国家になれるのかどうか、大変な分水嶺に差しかかっているように思います。

個人的にはハッピーだった一年、しかし、世界や日本のことを考えると、何やら恐ろしい気がする大晦日です。

拙いブログに、一年間おつきあいいただきまして有り難うございました。
来年も、宜しくお願い申し上げます。
| 身辺雑話 | 00:00 | comments(5) | trackbacks(0) |
年末年始はお静かに
送信者 橘フォト2

12/20日(土)、合唱の練習日でしたが、集中力、声の調子などが芳しくありません。おかしいな、と思いながら帰ってきました。夜になると、顔面に軽く疼痛のようなものが走り、その側の肩が凝り出しました。ふと、今年の3月に発症した口唇ヘルペスを思い出しましたが、それとは違うような感じもします。このようなことは、前にも何回かあったようにも思えます。
22日(月)になって、念のために医者に診てもらうと、やはり口唇ヘルペスとの診断でした。その頃から、舌の奥に違和感を感じるようになりました。
11月中旬から、12月中旬まで、忘年会やゴルフが続いていました。一段落した後は、久しく怠っていた筋トレをしっかりやろうと、ジム通いもしました。どうやら全てについてヤリ過ぎたようです。歳を考えないといけませんね。
今回は、早めに薬を飲み出したので、症状は軽いのですが、医者の言う通り、2週間はかかりそうです。三が日明け頃完治でしょうか。
情けない年末、年始になってしまいました。

医者から、出来るだけ安静にと言われているので、散歩なども避けています。行動範囲が狭いと写材にも事欠き、庭の中で捜しています。この写真をアップロードした後、前にもツワブキの胞子の写真を使ったような気がして調べてみると、この3月のことでした。

前回は、老化、花粉症、政治(笑)に病気の原因を求めました。今回は、老化、張り切り過ぎ、政治状況の更なる悪化(笑)でしょうか。
経済が極端に悪い時は、政治にとってはある意味ではチャンスですが、与野党とも、対症療法の競争をしています。これでは経済は良くなりません。
ストレスが溜まりますね。

胞子に触ってみると、脆く抜け落ちてその部分がハゲになってしまいました。何か、人間の終末を連想させられて愉快ではありません。
同じツワブキの胞子でも、こちらの精神状態によって、受け止め方が随分と異なるものです。

| 健康 | 22:10 | comments(8) | trackbacks(0) |
マナウスで見たアマゾン河
送信者 橘フォト2

アマゾン河の河口から約1700キロに位置するマナウスは、3000トン級の船舶が航行できるアマゾン森林地帯の中心都市です。人口150万人、昔はゴム採取の中心地として栄えましたが、密貿易の拠点としても知られていました。その名残か、今は輸入フリーゾーンに指定され、日本企業を含む自動車や電機産業の組み立て工場などが沢山建設され、産業面でも栄えています。もちろんアマゾン観光の拠点でもあります。駐在員子女のための日本人学校もあります。
マナウスは、アマゾン河とネグロ河が合流する手前のネグロ河沿いにあります。先ずは、グーグルの航空写真にmanausと入れて検索し、拡大して見て下さい。
青く写っているのがアマゾン河本流で、黒く写っているのがネグロ河です。合流して暫く青い河と黒い河が平行して流れているのが分かります。地図上で測ってみましたが、100km前後です。
青く写っていますが、近くで見ると、アマゾン河の水は鉄分を含んだ泥水色です。茶色っぽい色です。ネグロ河は、文字通り黒く見えますが、濃い褐色です。ネグロ河の水は酸性で、そのため、南緯3度に位置いているマナウスには蚊などがいません。人が住むなら、ネグロ河沿いの方が住みやすいのでしょう。
水の比重が異なるためか、或いは水の性格が異なるためか、何故か混じり合わないで、しばらく平行して流れていきますが、やがてアマゾン本流の水量が圧倒してネグロ河の水を飲み込んでしまいます。
写真(これも30年以上前のもの)は、合流点付近の様子です。茶色い水と黒い水がはっきり分かれているのが分かります。
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| ブラジル | 00:00 | comments(2) | trackbacks(0) |
コルコバード
送信者 橘フォト2

30年以上前、リオデジャネイロのコルコバードを背後から撮った写真です。
試しに、スキャンしてPICASAアルバムにアップしてみました。大きくしてみると、傷などが目立ちますが、雰囲気は伝わりそうです。

今日は、クリスマスです。
異教徒の私たちは、教会に行くでもなく、家でお祈りするわけでもなく、ただ普通に過ごすのが習慣になっています。サラリーマン時代、勤め先で、クリスマスケーキをまとめて注文するサービスがあり、それを下げて帰った頃もありましたが、これと云って特別なことをした記憶はありません。
サンパウロやロンドンで暮らしている時も、この時期をどのように過ごすかに悩まされました。現地の人たちにとては大事なクリスマスですが、私たちにとっては、普通に暮らすしかありません。とはいえ24日の午後から、25日にかけては街は完全に静かになってしまいます。
脱出することを考えても、南北アメリカ、欧州、オセアニア何処に行ってもクリスマスです。仕方なく家で過ごす以外に選択肢がありません。

キリスト教世界では、24日から始まり、元旦までの事実上の長い休暇に入ってしまいます。
その頃のブラジルでは、年休を会社が買い取る、という制度がありました。会社を休業にして、強制的に年休を消化させれば、買い取らなくてはならない年給がその分だけ減ります。企業は24日から、1月3日ぐらいまでの一定の期間を休業にして、年休の強制消化を進めていました。従業員のニーズとも合い、合理的なやり方です。
ロンドンのシティも、めっきり人が少なくなり、淋しい年末風景となります。仕事をしたくても相手がいなくなるので、これも事実上の休業状態です。旅行に行っても、動いてない街程面白くないことはありません。

それにしても、異教徒という言葉は凄い表現ですね。英語では、Heathenと云うそうですが、荒れ地にしか生えないheathのような人たち、野蛮な人たち、未開な人たちといったイメージのようです。
キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒同士はそう呼び合うのでしょうか。どうも多神教の人たちを、そのように呼んでいるようにも見えます。
そうだとしたら、かなり許せない言葉のように思えます。
| ブラジル | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
地平線

昨日のエントリーでお話ししたように、古い写真の整理に入っています。
これは、ブラジル中南部、サンパウロ州、リオデジャネイロのあるグアナバラ州の北に位置するミナスジェライス州の草原風景です。30年前1978年の写真です。現地にいると当たり前のような風景ですが、今、見るとこのような景色は、島国日本では見られませんね。
この州の名は、鉱物資源が豊富なことを意味しています。多くの種類の鉱物資源を産すると共に、耕地に適した地域も多く、かつては、最南端のリオ・グランデ・ド・スル州と交代で大統領を出していた実力州です。この州都はベロリゾンテ(Belo Horizonte)で、英語で云えばBeautiful Horizonの意味となり、恐らく、そこから眺める地平線は、美しいことだったのではないかと思います。一度訪れた都市ですが、残念ながら、ゆっくり地平線を眺める機会はありませんでした。

ミナスジェライス州の北西に接するのが、首都ブラジリアのあるゴヤス州です。日本から着任したばかりの若い同僚と共に、ブラジリアに出張した時のことです。
ビジネスが一段落し、昼食を、サンパウロから同行したアシスタント、弁護士と四人で、見晴らしの良いレストランでとることにしました。
レストランのテラスに入った途端に、若い同僚が、驚いたような声を出して日本語で、
「向こうには何も見えませんよ!」
と叫びました。
この写真とは違って、灌木がまだらに生えている見渡す限りの赤土の平原の彼方の地平線を見て、感動したと云うよりはショックを受けたようでした。私は、このような景色を最初に見た時には、これが大地なのだ!と感動しましたが。

恐らく、このような環境に育つと、人間の持っている様々な価値観は、我々狭い島国の日本人とは大きく変わってくるのではないかと思います。
何かにつけ大雑把で、それでいながら生きるためのエネルギーはもの凄く強いブラジル人の性格の原点は、このようなところにあるのかなと思います。
反面、このような光景に縁のなかった日本人の中には、このような環境がストレスになることもあり得るのだと思います。

| ブラジル | 11:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
写真の整理
嘗ては、写真は珍しいもので、貴重な記録でした。アルバムに整理し、大事に保管していました。
その写真が次第に普及し、特に珍しいものでもなくなってしまいました。自分が撮ったり、他人から頂いた写真も、その時には見て感動したり、自分の写り方にがっかりしたりなどしますが、二度以上見ることが少なくなりました。
そうなると、写真の整理に身が入らなくなり、家中に分散放置されている状態になってしまいました。これらを、昔のようにアルバムに整理していたら、膨大なものになっています。そのまま放置しているので何処にあるか分からないが、家の中の何処かに収まっているのではないかと思います。

デジカメ時代になってからは、自分で撮ったものや、eメールで送ってもらったものはHDに保存できるようになりました。これらは、かなり整理されていて、何かにつけ反復して見られます。個人的には、写真のプリントは全く必要がなくなりました。
しかし、未だプリントアウトされた写真も、デジカメ写真、銀塩写真共々かなり頂きます。今は、デジタルデータのイメージとプリント写真との併存時代です。
そこで、プリント写真をスキャンしてHDに、整理、保存することにしました。少し劣化しますが、プリントの儘だと時間の経過と共に劣化が進みます。

このような時、昔の写真から整理し出すところですが、古い写真ほど見つかりにくいところに入ってしまっています。取りあえず、新しい方から整理しだしています。現在の価値観から見て、残す必要性のあるものを保存するようにしています。

整理していて気がついたことですが、既に亡くなった方と写っている写真は、保存サイドに分類しがちです。
遺族は、亡くなった肉親の写真は破棄できないと云われますが、その意味がよく分かります。友人、知人でも同じことです。ある先輩が、自分の写真を整理して、残す写真を決め、残りは全部廃棄しました。遺族への思いやりでしょうが、私にはそこまで割り切れません。HDに保存しても、プリント写真を破棄する決断には至りません。
| 身辺雑話 | 12:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
グーグルストリートビューは問題
かねてより、このサービスには問題があると思っていました。これは、即刻、中止して欲しいと思います。

皆さんも、ここに自分の住所を入れて検索してみて下さい。
気持ち悪いと思いませんか。

元厚生次官宅が相次いで襲われ、元次官夫妻が殺害されたり、元次官夫人が傷を負った事件は生々しいものでした。このような犯行があった後には、単なるプライバシーの侵害のみならず、このサービスは、危険なサービスの性格を帯びてきました。

このグループの要求を全面的に支持します。もしサービスを続けるのであれば、そのサービスに参加を希望する人だけにしたら良いと思います。
| 電脳電網 | 22:48 | comments(2) | trackbacks(0) |
世界同時大不況と新型インフルエンザ
送信者 橘フォト2

強毒型のH5N1型ウイルスによる新型インフルエンザのパンデミック(大流行)は、時間の問題のようです。それもかなり差し迫っているようです。
ある医学関係者の話によると、先週の話で早ければあと1ヵ月、遅くとも3ヶ月以内には起こると考えていた方が良さそうです。それにしては、日本は、派遣社員の解雇の様子が詳しく報道されたり、国会もそのことでもめていますが、こと新型インフルエンザのこととなると、脳天気です。専門家が前に出て、しっかり国民に訴えていかなければならない問題です。
企業の対応も、既に出来上がっているのでしょうか。

ワクチンがない新型ですから、最初のうちは隔離するしか手だてがないので、潜伏期間もあり、流行を止めることは不可能なようです。日本では、死者は200万人とも云われており、場合によっては社会の機能も止まりかねません。水道、電気、ガスなどのライフラインが守れるかどうかという問題でもあります。
最小限の自衛をしなくてはなりません。
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| 健康 | 22:11 | comments(2) | trackbacks(0) |
叙勲された友人を囲んで

(旭日重光章・副章(右)・略綬(中)The Order of the Rising Sun, Gold and Silver Star 内閣府ホームページより)
昨晩は、大学の語学クラスのクラス会でした。
先月の秋の叙勲で、クラスメートの弁護士M君が、旭日重光賞に除せられたので、お祝いのために集まりました。このクラスは、卒業後、M君が万年幹事を務めてまとめてきました。昨晩は臨時の幹事団が結成され、M君受賞のお祝いの呼びかけをしたために、大阪、奈良、三重、愛知など地方在住者も馳せ参じ、32名が集まって賑やかな一晩を過ごしました。M君の人徳です。

卒業時52名でしたが、死亡6名、連絡不能4名計10名を除く42名の内32名が集まったのですから、盛会でした。欠席者は、地方在住2名、出張中1名、病気療養中1名などが報告されました。
3分スピーチで、お祝いと現下の世界情勢について所見を話せという指示の下に、32人が話しました。当然、大幅に3分を超過するものが続出しましたが、10時近くになって、何とか全員のスピーチが終わりました。
米国発の金融恐慌に端を発した世界的なリッセション、オバマ政権の評価に議論が集中しました。残念ながら、討論をする時間はありませんでしたが、各界の有力者が多く、面白く聞かせてもらいました。
何はともあれ、殆どが70歳を超えているというのに、皆さん元気なので驚きました。

帰りに、駅近くの居酒屋に入り、4人で議論の続きをしました。
昔に帰って議論をしていたら、つい時間が経つのを忘れ、大変遅くなってしまいました。駅から自宅までの通常のバスは終わり、深夜バスに乗って帰ってきました。深夜バスにはシルバーパスは通用しませんでした。老人は、深夜バスに乗ることが想定されていないようです(笑)。
昨夜は、久し振りに飲んだ、という感じでした。

朝、目が覚めてみると、既に、午前10時ではありませんか。
慌てて道路の掃除などをして、朝食を終わったのが12時近くでした。
一休みをして、1時頃からスポーツクラブに行き、汗をかいて出てくると4時過ぎ、もう暗くなりかけていました。

短い一日でした。その分昨夜が長かったのでしょうが。

| 身辺雑話 | 22:47 | comments(2) | trackbacks(0) |
別の新しい人生
送信者 橘フォト2

ホームページを始めたのが8年前の12月からでした。この月になると、その頃のことを思い出します。
その3年前に、W95を購入して、ワープロとEメールを始めました。
慣れたところで、W98のPCを購入し、徐々にインターネットの世界に入っていきました。
通信回線は、ISDNでしたから、ページをアップロードするのは、現在のブログと比較すると大変な労力を要しました。ドキドキしながら試行錯誤していた時代が懐かしく感じます。

歳をとると、月日の経つのは速いと云われますが、ことネットになると話は別です。この間に、OSも、W98、WME(妻のPC)、XP、VISTAと格段に進歩し、アプリケーションも随分と使い勝手が良くなりました。
通信回線も、ISDNからADSL、FTTHなどのブロードバンドになり、通信速度の向上は何と百万倍です。
進歩が速いので、遙か遠い昔のことのように思えます。

今は、ネット社会も広がりと中味の充実があって奥深いものになっていますが、反面、利用し切れないことが沢山あります。現実の生活と同じように、自分に合ったネット上のライフスタイルを確立すれば快適なネットライフが送れるようになりました。
ということで、ネットのお陰で、楽しい老後を送らせてもらっています。
高齢者の中には、往々にしてパソコンやネットが利用できない人が多いですが、このような宝の山に接しられないで気の毒だな、と思ってしまいます。自分自身が、もし、ネットがなかったら、パソコンがなかったら、どのような暮らしをしていたか想像も出来ません。

パソコンとネットのある生活によって、別の新しい人生を送っているように感じます。
| 電脳電網 | 23:25 | comments(5) | trackbacks(0) |
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