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趙紫陽の葬儀は終わったが
死亡してから13日目に、漸く趙紫陽の葬儀が終わりました。
葬儀までに、これだけ時間がかかったことは、現政権にとって、それだけ難しい問題だったということでしょう。
新華社電によると、「共産党と人民に有益な貢献をした」と一定の評価を行ったものの、天安門事件(89年)で「重大な過ちを犯した」とも指摘しており、再評価につながるものではありませんでしたが、遺族らに配慮を示すことになりました。
 
余談ですが、各紙は、新華社電をこのように揃って伝えていましたが、朝日だけは、

趙紫陽氏の葬儀、北京で 「重大な過ち犯した」と新華社

の見出しで伝えています。
本文も、功績には触れず、過ちだけを伝えまた。
この新聞、中国政府が、本当は触れたくなかった部分を削り、ここまで中国の政権に擦り寄るのか、と思いました。
醜いです。
この報道態度は、信用できません。

本日の朝刊では、

趙紫陽氏葬儀 「過ち重大」評価変えず

として本文では、少しトーンを変えてはいましたが。

とりあえず、政権が、無難に乗り切ったことになります。
改めて、反民主化色を鮮明にしてしまいました。
市場経済下で、幹部から末端の小役人に至るまでの腐敗体質、貧富の格差拡大、民族問題などを抱えて、どう運営していくのでしょうか。
何かあったら手に負えない騒ぎになることは、アジア杯サッカーで明らかです。
民主化へのエネルギーは、押さえ込まれましたが、キャリーオーバーされて、更にマグマが大きくなっていくように思います。

米ニューヨークに本部を置く人権団体「中国人権」の会話録によると、

趙氏が昨年夏、友人に語ったとされるもので、共産党について「一度天下を取ったらいつまでもそこに居座れると思っている」と指摘。事実上の一党独裁体制下で政治腐敗がはびこるのは当然との見方を示した上で「(インドネシアで長期間、独裁政治を続けた)スハルト軍事政権下の腐敗よりもさらに深く社会に浸透している」と非難した。
さらに趙氏は「胡主席も温家宝首相もどう政治改革を進めていいのか分かっていない」ととがめ、自分が指導者なら民主化を着実に進めるとの考えを示した。

また、急速な経済発展についても「西側世界の資本主義も当初はひどかったが、中国が歩んでいる資本主義は最悪だ」と述べ、現政権の政治経済運営を真っ向から批判した。

と報道されています。

趙紫陽の再評価を期待して、押さえていたものが、これから少しずつ出てくるように思います。

民主化の必要性は分かっていても、共産党という組織を維持するためには、進めることは出来ない、という所でしょうか。
先ず党ありきで、国民は不在です。共産主義とはこういうものです。

日本の政治家も、「他山の石」とせず、構造改革に取り組んで欲しいと思います。
| 政治、外交 | 13:21 | comments(2) | trackbacks(1) |
趙元総書記の葬儀
その後、報道も少なく、奇妙な静寂を感じていましたが、複雑なことになっているようです。
香港発時事が、「長老級の元高官らが党中央に「公正な扱い」を要求、元党トップの扱いで執り行うべきだ」という意見が出ている、と報じています。
その長老には、全国人民代表大会(全人代)委員長を務めた万里、喬石の両氏と、田紀雲前全人代常務副委員長らが含まれているそうです。
胡錦涛政権にとっては、これを捌くのは、簡単なことではないでしょう。

趙紫陽は、鄧小平によって政権から追われましたが、それ以外の長老達にとっては、嘗ての盟友です。元党トップの扱いで葬送してやりたい、というのは正直な心情でしょう。
江沢民を完全引退に追い込むに当たって、長老達の胡錦涛への支援が大きかったと伝えられています。
この意見を採り上げることは、政権としては、火を持って火薬庫の前を通るようなことになります。
国民、一般大衆の趙紫陽追悼の意思表示を禁じにくくなります。
大きなリスクです。

そういえば、遺族が、趙紫陽の党への手紙を公開することを要求している、という記事を見ましたが、その時は、その意味が分かりませんでした。
趙紫陽とその家族が、長老達と、良好な関係を維持していたとすると、遺族が、この様なことをしっかりと要求できる背景が理解できます。

まだ葬儀の日程も定かではないように思います。
胡錦涛政権はどう対応するでしょうか。
| 政治、外交 | 18:41 | - | - |
趙紫陽の死 中国のマグマ続き
中国民主化のシンボル趙紫陽が、昨日亡くなりました。
天安門事件当時の総書記趙紫陽は、経済の開放と平行して、政治面の民主化を進めようとして、当時の最高権威である障ナ小平をによって、排除されました。

趙紫陽に代わって、障ナ小平が総書記の座に抜擢したのが江沢民です。
江沢民は、障ナ小平の路線を引き継いで、経済の開放を進めました。
政治面でも障ナ小平路線を貫きました。共産党独裁の継続であり、反民主化政策です。
江沢民は、自分の後継者として、胡錦涛総書記、温家宝首相のコンビを指名しました。
毛沢東から障ナ小平までの指導者は、建国の功労者達でした。
江沢民は障ナ小平に指名された人に過ぎません。そして胡錦涛はその江沢民から指名されました。
もちろん形式的には、人民大会議の選出の形をとっていますが、現在の指導者が、その座に収まる正当性は薄いのです。
このことは、江沢民も、胡錦涛も痛いほど分かっているのではないでしょうか。
民主化の方向には、一歩も運ばせたくない気持ちは良く分かります。

経済の開放、発展が進むと、共産党による一党独裁官僚支配との矛盾が、露呈してきます。
政権トップ層から、末端の小役人に至るまで腐敗が進行しているようです。
市場経済に向けての法整備も十分ではなく、全てが許可制とも云って良い社会では、官僚の腐敗は進みます。国民の官僚腐敗に対するフラストレーションは、相当に高まっていると聞いてます。
天安門事件から15年以上が経ち、順調に見える経済の発展によって、政権の民主化派は劣勢かもしれません。
しかし、国民に蓄積された民主化願望(現政権批判)は、相当なマグマとなっているように思います。

江沢民以降、その不満は新たな抗日教育により日本に向けられました。
台湾の独立派が優勢になると、台湾独立派にも向けられています。
一党独裁の矛盾を、民族主義によってかわそうとしていました。
それも、サッカーのアジア杯予選での民衆の騒乱で、壁に突き当たってしまいました。
これ以上これを進めると、スポーツの国際試合開催が難しくなります。オリンピックが飛んでしまうかもしれません。

そこに民主化のヒーロー趙紫陽の死です。
現政権にとっては大変なことです。
取りあえず、葬儀に国は関与しないことになった、と報道されています。
国が葬らないなら、自分たちの手で、というような動きが出てこないとも限りません。
中国国内では、TVやラジオでは放送していないそうです。NHK−BSやCNNもその部分は放映されなかったようです。
しかし、ネットや携帯電話では広がっているでしょう。
政権はナーバスにならざるを得ません。

趙紫陽の死は、中国政治の大きな山だと思います。
政権が、これを無難に乗り越えても、マグマの風船はさらに大きくなります。
市場経済と一党独裁は、ある程度を越えると全く相容れなくなります。
突然、活断層のような大きなずれが生じ、15億人の民の混乱が始まるかもしれません。




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| 政治、外交 | 22:56 | comments(2) | trackbacks(0) |
ネットの野球配信
ブログ「男らしくて純情で 野球小僧はあったかい」は、野球に対する思いが溢れています。
前向きの提案が見られるので、プロ野球ファンの私は、必ずチェックしています。
最も新しいエントリーは、 ネット街頭テレビ案 です。

その昔、TVが登場した頃、正力松太郎が、街頭にTVを置いて、普及率は少ない段階から存在感を上げ、広告企業を誘致しました。
それがその後のTVの普及とプロ野球の繁栄をを招く大きな要因となりました。
この提案は、ネットによるプロ野球の無料配信に、嘗ての街頭TVの役割を期待することは出来ないか、というものです。

この提案によると、各球団がユーザーにプレーヤーを配布することになっています。
この辺の技術的なことは良く分かりませんが、普通のストリーム配信でも、双方向性を利用した対話型のCMを上手く使っていけば、かなりの広告効果があるのではないかと思います。TVでは、視聴率が効果を予測する唯一のデータですが、ネットでは、より細かい反応が分かります。
大事なポイントは、視聴料をユーザーから徴収する代わりに、ネット側が、広告費などによって収入を得る方法を考える、ということだと思います。

TVでも視聴率を上げるために、様々なクイズなどを折り込んでいますが、こういうことはネットの方が得意です。
視聴者の采配、配球、コメント、応援、感激などが直に伝わる参加型ストリーミングが出来るのではないでしょうか。
ネットのCMは、まだまだ工夫の余地が大いにあると思っています。

とにかく、これまでTVが見向きもしなかったパ・リーグに、有力ネット企業が2社も加入したのですから、その気になれば可能なことです。
TVの配信料に依存しているセでは、無理でしょう。(私は巨人ファン)
TVのセ、ネットのパ、という構図も面白そうです。

ネット配信は、結構高いBB料金を払った上で、一試合100円、200円にしても追加で支払うことになると、視聴者は途端に少なくなるでしょう。
出来るだけ沢山の人に見て貰うことが、広告費収入を増やす第一歩です。

孫さん、考えて下さい。
ネット街頭テレビ案は、面白いビジネスモデルの提案だと思います。



| スポーツ | 15:43 | comments(0) | trackbacks(1) |
NHK+政治家 vs 朝日
1月12日(水)朝日新聞のスクープに端を発した、政治介入によるNHK番組改編問題は、、NHK側の発表、朝日新聞への抗議、謝罪要求、安倍、中川両議員の主張などが出揃ったようです。
事実関係がようやく分かってきました、。

ブログでも多く取り上げられました。
そのなかでも、Irregular Expressionさんの「嘘吐きは誰だ?!NHK問題の真相」で、1月13日 テレビ朝日報道ステーション安倍晋三自民党幹事長代理生出演全文を刻銘にオコシていただき、この問題の真相が見えてきました。
臨場感溢れるIrregular Expressionさんのご努力の成果を直接読んで頂きたいと思います。
テレビ朝日は、新聞の方針に従ってこの問題を追求しようとしたようですが、これによって告発側が不利になっていく様子が良く伝わってきます。

朝日は、その後、安倍、中川両議員のコメントを淡々と報道しました。
NHKの抗議に対して「記事には指摘のような事実の歪曲はない」とのコメントを出したのみで、これ以上のフォローはありません。

毎日は、1月15日の社説で取り上げています。チーフプロデューサー、両議員の主張を並べた上で、
「どんな言い回しであろうと、こうした状況下での政治家の発言は、「介入」「圧力」に等しいと受け止めるのが世間の常識ではないか。」
と、やや乱暴な決めつけを行っています。

この両紙が共通していることは、放送法による報道の独立性を取り上げていますが、他方、報道の公平性を定めていることには、一切触れていないことです。

一方、読売は、同じく社説で、「公共放送であるNHKの上層部が、番組の内容をチェックするのは当然のこと」とし、「「女性国際戦犯法廷」では、昭和天皇が「強姦(ごうかん)」の罪などで起訴され、有罪が言い渡された。
このような性格の「法廷」の趣旨に沿った番組が、「制作現場の自由」としてもしそのまま放送されたとすれば、NHKの上層部はあまりに無責任、ということになる。 」
としています。

更に、「そもそも従軍慰安婦問題は、戦時勤労動員の女子挺身(ていしん)隊を「慰安婦狩り」だったとして、歴史を偽造するような一部のマスコミや市民グループが偽情報を振りまいたことから、国際社会の誤解を招いた経緯がある。」として、暗に、朝日の過去を非難しています。

産経は、「関係者全面否定、内部告発“空中分解”」
として、チーフプロデューサーの告発は、彼自身がその場に居合わせたものではなく、全て上司から聞いた伝聞だったことを指摘しています。

私は、NHKの聴視料については、昔から問題視してきました。
憲法違反ではないかと思っています。
最近の不祥事、海老沢会長の言動にも厳しい目を注いでいます。
だからといって、何でもNHKを叩けば良いというものではありません。

この事件については、もともと偏向報道だったものが軌道修正された、それに政治が絡んでいたのかどうか、という問題です。
これまでの材料では、プロデューサー、朝日側の主張は弱いと思います。
プロデューサーがそう信じていたとしても、この時期に、人から聞いた話だけで告発するというのは、いかがなものかと思います。
テーマが従軍慰安婦問題だけに、外国の影もちらほらします。場合によっては、国を貶める行為になります。
朝日らしい報道で、強い憤りを覚えています。
NHKに対する政治の関与は問題ですが、それよりもっと恐ろしいものは、外国と組んだマスコミです。
厳しく監視する必要があります。
今回の場合、もし、政治が絡んでいたとしても、NHKに公平性を求めるのは当然だと思います。

NHKが、政治の関与を完全に遠ざけるためには、視聴者との契約制に踏み切り、国民の評価の下に、自分の足で立つしかないのです。

| 社会 | 20:35 | comments(2) | trackbacks(1) |
成人年齢は30歳?
今朝のフジテレビ「トクダネ」で、各地の成人式の様子の報道のあと、小倉キャスターが、
「成人年齢は30歳にした方が良いのでは?」
というようなことを言っていました。

確かに、私たちの頃に比べると、現在の20歳の若者は、幼稚に見えます。
20歳という年頃は、明らかにまだ十分に未熟な歳です。それは今も昔も変わりません。
しかし、昔は、立派な大人として扱われました。そして、私たちは、大人たるべく努力をしました。

私は、20歳になる前から、父親の名代として、親戚の冠婚葬祭などに行かされました。
その場合は、先方に、親から託された口上をしっかりと伝えなければなりません。そして、大人の中で違和感のない立ち振る舞いが求められました。
今考えてみると、これは大変貴重な経験だったと思います。
10代後半ともなれば、大人の見習い期間です。大人の中に入って揉まれる経験も、大事なように思います。

恐らく今のハイティーンには、その様な機会は少ないでしょう。
殆どの人が学校に行き、学校を中心にした、同い年もしくは同世代の人たちのだけを集めた世界で、箱庭的に育てられています。
これでは、20歳になったとしても、大人にはなれないでしょう。
昔の20歳との比較だけではありません。諸外国の20歳と比較しても、日本の20歳は、最も幼稚な部類に属すると思います。

社会面では、核家族化、少子化、両親の共働き、離婚の増加などが進み、家庭での教育機能が十分に機能していないようです。。
子弟の教育は、学校に丸投げになっているのでしょうか。
そして学校の負担は増大したためか、教育方針が誤っていたためかは分かりませんが、学力面の子供達の力は下がり続け、アジアの劣等生的な存在になりつつあります。
社会、家庭、学校など子供を取り巻く環境の成果が、これらの現象をもたらしているのです。

生産人口年齢の殆どが、戦後生まれになりつつあります。
団塊の世代から始まって、戦後生まれの人たちの子弟の問題です。
子供の問題は、親世代の再生産の面もあります。
更に、もう一世代再生産したら、どういうことになるのでしょうか。
親たちは、子供の問題であると同時に、自分たちの問題であることをしっかりと自覚して、取り組んで欲しいと思います。

毎年成人式でのトラブルが話題になります。
社会は、成人に何を期待するのでしょうか。
子供達が、どうしたら期待に応えられる成人に成長することが出来るのでしょうか。
社会の根幹をなす人の問題です。
本人はもちろん、役所、学校、親などの直接関係者だけでなく、社会全体で真剣に考えなければならないテーマです。
| 社会 | 17:05 | - | - |
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