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習近平と金正恩

(ウィキペディアより)

上の地図は、1939年、満州国のあった頃の中国です。
これを、中国軍制改革の7軍区から5戦区への移行図と比べてみて下さい。

旧瀋陽軍区は、内モンゴルと山東半島などを加え、広大な地域を支配する北部戦区(以下、瀋陽と呼ぶ)となっています。北京や天津を包むようです。
また、中国にとって最も強敵であるロシアに対峙する戦区ですから、精強であることは間違いありません。

一方、旧北京軍区は、中部戦区となりましたが、小さくなってしまいました。
旧満州国は事実上日本が支配していました。旧満州国プラス北朝鮮は、戦前日本が支配していた地域です。
瀋陽が、北朝鮮を抱えて、北京と対立関係にあるとすれば、中朝関係を国境線で区切って考えるだけでは理解できないと思いました。

そこまでかんがえると、昔学んだ中国史の歴史地図を思い出します。
改めて調べてみると、常に中国北部には、好戦的な異民族が勢力を張っていて、これに各王朝は苦しめられてきました。

前漢時代には、匈奴、烏桓、鮮卑、扶余など、後漢時代には匈奴を打ったのですが、鮮卑が勢力を伸ばし、朝鮮半島から満州辺りには高句麗も現れます。
東晋時代には、高句麗の他に、柔然、契丹、高車も加わります。

隋の時代には突厥が勢力を伸ばしました。
唐の時代には、バイカルのの北まで版図を広げたこともありましたが、渤海、契丹、ウイグルなどに脅かされるようになりました。

北宋の頃は、契丹が勢力を伸ばし、女真なども現れます。
南宋時代は、金(女真)に圧迫され続けました。

そして広大な地域に勢力を広げたモンゴルは、中国を呑み込みました。

明は、北のタタールと対峙していましたが、満州に起こった金に征服されました。
清王朝は、1911年の辛亥革命まで続きます。この王朝は、発祥の地である満州は確保していましたが、ロシアの圧迫に悩まされます。

その後中華民国となりますが、各地に軍閥が割拠したり、1932年〜1945年は、日本の支配下にある満州国が存在しました。その頃の版図がこの地図です。

北朝鮮は、中国(瀋陽)に助けられ、北京とは対立しています。
瀋陽+北朝鮮は、化外の地である北支から朝鮮にに現れて、中国の各王朝を苦しめた北狄諸民族と同じような存在であることに気づきます。
更に、辛亥革命後の中国史は、軍閥の歴史でもあります。
この歴史は、中国共産党が、国民政府を駆逐して中華人民共和国(以下中共と呼ぶ)を建国した1949年に終止符を打ったかに見えました。
しかし、瀋陽の存在は、巨大な軍閥のようにに見えます。

この地域は、経済的には鉱工業や第1次産業への依存が高く、厳しい状況が続いています。
瀋陽は、北朝鮮貿易などで得られる利益を手放せないのではないかと思います。
もし、北京にそのようなことを強いられても、中朝国境線を管理するのは瀋陽です。
公式貿易は密貿易化するでしょう。
北京が国連安保理決議に賛成しても、その実行は瀋陽の意向に委ねられているのだと思います。

習近平は、対北の外交を誤りました。
北より韓国の経済に目が行って、北を無視したことが大きかったと思います。
怒った金正恩が中国とのパイプ役だった高官を次々に処刑したのはそのためでしょう。

中共は、瀋陽の人事に介入して、習近平派に入れ替えているようですが、上海派(江沢民派)の影響が強いと言われている瀋陽を、これで把握できるようになるのでしょうか。

日本にとっては、瀋陽の情報収集が重要なのではないでしょうか。
対中外交も対北朝鮮外交も、この辺の事情をしっかり把握しないと出来ないのではないかと思います。




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