朝食を摂りながら、
CSTVクラシカジャパンで、カール・ベーム指揮ウィーン響の『モーツァルト:レクイエム』を聴きました。
合唱 ウィーン国立歌劇場合唱団
独唱 グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ)
クリスタ・ルートヴィヒ(メゾ・ソプラノ)
ペーター・シュライアー(テノール)
ヴァルター・ベリー(バス)
1971年12月ピアリスト教会(ウィーン)での収録です。
素晴らしい演奏で、ぐんぐんと引き入れられていきました。
この曲に関しては、過去に
ホームページや
このブログで採り上げていますが、私の合唱経験の中で最も心に刻まれた曲です。
このメンバーで演奏すると凄いことになるなあ、と感動しました。
youtubeに同じ演奏があったので埋め込みました。関心のある方は聴いてみて下さい。
人類の先が見えない時代背景の中で、この曲を聴いていると、人々が神を畏れ、キリストに救いを求め、そして死後の永遠の安息を願う気持ちが、痛く心に刺さります。
私たち日本人の宗教観は、基本は神道で、その土台の上に仏教を取り入れています。
神道は、八百万の神というほどですから、一神教のキリスト教やイスラム教とは反対に、他の神々を受け入れる宗教です。仏教は、その神道を否定せずに共存してきたので、日本人に受け入れられてきたと思われます。
一神教のキリスト教は、仏教や神道を否定するために日本人には受け入れられませんでした。
神道は、自然崇拝と人の和を基本として、争いを想定していません。
国家神道となって暴走したこともありましたが、それは政治の問題で、民主主義、国民主権の現在は、実に平和な宗教だと感じています。
しかし、中国や朝鮮半島は、基本的には無宗教です。
だから、カルトが蔓延りやすい体質にあります。
外交などを観ていても、日本と中国、朝鮮半島との基本文明の差を強く感じます。
前言を翻す、嘘を言う癖があるなどの傾向が強い中国、朝鮮と我が国の違いは、無宗教に原因があるのではないかと感じています。
日本の民進党代表候補の国籍が問題になっています。
嘘を言ったり、言い繕ったりを繰り返していますが、日本人の最も嫌うところだと思います。
キリスト教国家と日本人の相性は悪くありません。
日本人にはキリスト教徒の宗教観は理解できます。
あの人たちはこの様な宗教観だと想像しながらレクイエムを唱ってきました。
宗教を超えた、素晴らしい音楽だと感じています。