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自然に対する畏敬の念を失った科学技術の怖ろしさ
カトリックの世界であれば、その世界の最高権威ローマ法王が、
「科学技術を超越した神の顔を追い求めよ」
と信者らを戒めれば、福島原発事故の本質が即座に理解でき、納得できるのでしょう。

残念ながら、我々日本人には、この様に積極的に物を言い、人々を納得させられるだけの権威はいません。唯一の救いは、避難所を訪れて、被災者を見舞われ、慰められた天皇皇后両陛下のお姿でした。

我が国は、科学技術のお陰で、これほどまでに高い生活水準の中で暮らし、平和を愛好する国民となることができました。しかし、考えてみれば、私たちには、大事なものが欠けていました。
それは、科学技術を越えた自然に対する畏敬の念です。

東日本大震災の地震、津波による被害については、悲しみの内にも、全く想定外のこととして受け止めざるを得ない感覚の中にいます。
過去に、その様な大津波があったとしても、現実に、社会全体として、この様な大津波が来ることを想定していなかったことは事実でしょう。
天災として、やむを得ないこととして受け止められています。

しかし、福島原発の事故については複雑です。
然るべき立場の人たちが、想定外と言ったことに非難が集中しています。
社会の思想の中に、科学技術万能、あるいは科学技術過信のような感覚が蔓延していたのではないでしょうか。
その上残念なことに、原発の様な巨大リスクをハンドルする科学者に、科学技術に対する謙虚さが薄れ、過信、奢りが大きくなり、自然に対する畏敬の念がが薄れていたのではないでしょうか。

国会で、答弁に立っている原子力安全委員長を見て、この人には、その様な現在の科学を超えたものに対する畏敬の念のようなものは全く感じませんでした。印象としては、保身、人間社会に対する配慮、気配りだけが目立ったように感じました。

我々は、天災は仕方がない、と思ってしまう国民性です。
だからこそ、天災は必ずやって来ることを頭に入れた科学技術でなければならなかったのです。
| 原子力発電 | 12:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
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