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久し振りのハワイ旅行
送信者 橘フォト2015

10月31日(土)から、11月8日(日)まで、ホノルルに行ってきました。
この歳になると、ホノルルといえども、時差は堪えます。
ハワイ呆けも終わったところで、ようやくブログを更新する気になりました。

長男夫婦が、ホノルルで、コンドミニアムのオーナーシップタイムシェアリングに加入したので、一緒に行かないかと誘われて、その気になったものです。
コンドミニアムといってもヒルトン系で、食事以外はホテル並みのサービスがあり、1LKに、ベットルーム並みの広さのバスと別途シャワー室、仕切られたトイレ、洗面所などの浴室コーナーと、大きく3つのスペースに分かれています。
ロケーションは、カラカウア大通りから少しワイキキ側に入って、通りの向かい側にはロイヤルハワイアンセンターがあります。
ワイキキのほぼ真ん中でした。
しかも、フロント、コンシェルジュ全員が完全な日本語を話しますので、コミュニケーションの問題もありません。
彼らと我々夫婦は、別々のユニットを確保しましたので、滞在中は快適でした。

ホノルルは、これまで何度も行きましたが、ホテルと外食ではくつろぎが限られてきます。
キッチンには、一通りのものが揃っているので、自分たちで調理して食事ができるのが嬉しかったです。
50歳、働き盛りの長男夫婦とは、食の好みも大分異なります。くつろぎ方も異なります。
それぞれにマイペースの部分も取り入れられたのが良かったと思います。

滞在中に、潜水艦に乗って、海底を探訪するツアーに参加しました。(写真参照)
退役潜水艦を観光用に利用して、ワイキキ沖を約40m位の深さまで潜水し、人工漁礁に集まる魚群を観察するものです。
ワイキキの浜辺は、砂を他の島から運んでビーチらしくしています。砂は補給しないとビーチが小さくなってしまいます。流された砂は沖にまでも蓄積され、海底の自然を破壊します。そのため、海底には植物などが育たないので、魚が寄ってきません。
廃船を沈めたり、墜落したセスナをそのままにして人工漁礁とし、魚を集めています。
潜水艦体験をしたというだけのことでしたが、日本だったら、もっと面白いツアーができるのではないかと感じました。

防衛アレルギーになっている我が国でも、観光用に退役潜水艦を利用することによって、少しはアレルギー解消に貢献できるかもしれません。
潜水艦観光が終わってふと見ると、船長は小柄な婦人でした。
| | 13:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
家族旅行の思い出 バルパライソ
サンパウロ駐在中の1977年から78年にかけての年末年始は、アルゼンチン、チリへ家族で旅行しました。
ちょうど、私の母が半年ほどサンパウロに来て暮らしている間のことでした。我々夫婦に母、一人っ子の長男(中一)の四人連れでした。

ブエノスアイレスを観光した後、保養地バリロッチ(アンデスの中腹)に滞在し、そしてサンチャゴに廻る予定でした。
年末年始といっても、南米は夏の盛りです。暑いサンパウロから、バリロッチへの避暑は一度は行ってみたかったところです。
旅は順調でしたが、バリロッチでは、68歳の母が風邪を引いて発熱したりして元気がありませんでした。
サンパウロにいれば、日本人の家庭料理で暮らしていますし、外食しようとすれば和、中、韓と東洋的なメニューには事欠きません。しかし、アルゼンチンでは、ボリュームのある牛肉料理と、魚といっても鮭、鱒ぐらいで、味付けが下手で美味くありません。そんなことが影響したのでしょう。

元日に、サンチャゴへ移動しました。
さすがに飛行機は空いていました。我々以外は、一人男性が乗っているだけでした。こんな空いている便は、前にも後にも初めてでした。
シャンパンが配られ、パーサーが「Feliz ano nuevo!」と言って乾杯しました。
それが終わると、美人揃いのスチュアーデス達は、その男性の周りで、シャンパンを飲みながら談笑をはじめました。
家族連れの私は、ちょっぴり羨ましく感じました。

サンチャゴに着くと、明るく、ほどよい距離にアンデスが迫っていて、何か落ち着いた気分になります。ワインが美味く、魚介類は豊富で、日本人に合った食事ができます。母は、みるみる元気になりました。
ある日、日帰りで、バルパライソへバスで旅行しました。
バルパライソは太平洋の宝石と呼ぶことをこの記事で知りましたが、クラシックな感じの港町で、明るい夏の太陽の下で輝くようでした。
白ワインと魚介類一杯の昼食をとって楽しかったのを覚えています。
今回は日帰りだけど、いずれゆっくりと来たい、と思って後にしました。
世界遺産になっていたとは知りませんでした。

母は、サンパウロで半年ほど暮らし、このような旅行も経験しましたが、翌年の10月に亡くなりました。
今の私より若く、私たちが、大した親孝行もできないうちのことで、残念でした。
| | 10:16 | comments(2) | trackbacks(0) |
これまでで最も怖かったこと
送信者 olympus
(4/30井の頭公園)
毎年この季節になると思い出すことがあります。この旅行中の出来事です。

中南米の長いビジネスツアーを終え、リオ・デジャネイロからサンフランシスコへ移動する途中のことでした。リオーシスコ間のフライトは、Braniff Internationalの、リオーリマーロスーシスコと飛ぶ便しかありませんでした。
やむを得ずそれを利用しましたが、リオを夜出て、リマには深夜に着きます。そこで給油した上、リマからの乗客を拾ってロスに向かいます。

リマでは、一旦飛行機から出て、ロビーで待たされます。出発の時間になって、再び機内に入り、深夜(午前2時頃)だったので、シートベルトを締めて、直ぐに寝てしまいました。
2時間ぐらい熟睡して目を覚まし、機内を見て愕然としました。
機内には、私を除いて他に誰もいません。飛行機は、私だけを乗せて飛んでいます。まるで夢の中の出来事です。これは大変なことになったと思いました。何が起こっているのか。

やがて事態が理解できました。
飛行機は機体のトラブルで飛んでいませんでした(笑)。
他の乗客や乗員は、暑いので、機外に出て涼んでいたのです。

この飛行機は、3時間遅れでリマを出発し、無事にロスに到着しました。
ロスからシスコへ飛ぶに当たり、離陸しようとして止め、さらにもう一度トライしましたが、離陸できませんでした。遂に、機体を変更してようやくのことでシスコに着きました。
ヘトヘトになってシスコの空港に降り立ったことはもちろんです。

リマでの驚愕、これは人生で最も怖かった経験です。
初めてのラテンアメリカ旅行で、中南米に対する不信感が最も高まっていた頃の出来事です。
しかし、後で考えると、この機体にずっと乗っていたことは、もっと恐ろしいことでした。
1972年4月の終わり頃の出来事でした。

因みに、この航空会社は、1982年に破産し、存在しなくなりました。
| | 17:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
ストーンヘンジは謎だらけ
送信者 シャンブル

ロンドン郊外、車で約2時間のところに存在する、先史時代の遺跡ストーンヘンジは、現在このような形で残っています。
紀元前3000年頃から徐々に造られ、紀元前1600年頃には放棄されたものと考えられています。

誰が造ったのか、何のためのものか、様々なストリーが考えられているようですが、考古学に強い英国が解明できないでいます。
この時代に、ブリテン島に、どのような人が住んでいたのかも良く分からないようです。
世界各地において、新石器時代から歴史時代への繋がりに、やや断絶のようなものがあります。
このストーンヘンジも、現代のブリテン島に厳然と存在しますが、現在知られている人類の歴史に繋げて説明できないことの一つです。
エジプトのピラミッドのことはよく知られていますが、中米のピラミッドについては良く分かっていません。アスカの地上絵などもそうですね。

この時代のブリテン島には誰が住んでいたのか。ケルト人が歴史的にこの地域で認識されるのは、紀元前400年頃のことのようですから、イングランドのケルト人を征服したアングロサクソンの人たちにとっては、伝承にも出てこない文明でした。

22年前、ロンドンに駐在していた頃からこのストーンヘンジには興味があったのですが、何時でも行けると思っている間に転勤になってしまいました。
このたびの旅行で、ようやく見ることが出来ましたが、見れば見るで謎が深まるばかりです。
| | 18:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
イングランドの田園風景には味がある
送信者 シャンブル

ロンドン滞在中、2日間ほど郊外へ出ました。
ちょうど小麦の収穫期で、8割りぐらいは収穫済みでした。ドイツと同じように、収穫後は麦藁を堅く丸めて保存していました。
日本でも稲藁を、牛の餌用に堅く丸めて保存していることを、稲藁の放射能汚染、それを餌として与えられた牛の内部被爆の問題があったことの報道を通して知りました。東京や茅野近辺では見なかったことですが、新しい稲藁保存法が取り入れられているようです。
我が国の新しい稲藁保存法も、もしかしたら欧州からの輸入技術ではないかと思いました。

この写真には写っていませんが、牧畜に利用している土地が3割ぐらいはありました。ドイツでは1割にも達しなかったように思います。
英国の農業は、フランス、、ドイツに比較して、やや競争力に劣り、土地も、農業よりも牧草地向きのところが多いと聞いていました。そして、小麦は、ケーキ作りに向いているがパン作りには向いていないと言われていました。パンが美味しくなかったことは強く印象に残っています。
今回、ロンドンなどで食べるパンは、美味しくなったと思いました。恐らく、EUになって、他のEU諸国の小麦がパン作りに使われているのではないかと想像しています。

美しい農地あり、森あり、牛あり、羊あり、馬ありで、ロンドン郊外の田園風景は変化に富んでいて飽きません。今回は、天気にも恵まれ、イングランドの味のある田園風景をたっぷりと楽しむことが出来ました。

注意してみていましたが、風力発電プラントは全く見ませんでした。ロンドン郊外は、風力発電には向いていないのでしょうか。
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| | 13:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
癒しの空間ハイドパークのジョギング
送信者 シャンブル

22年ぶりに、ハイドパークに足を踏み入れました。
昔から、大きな樹木が多かったのですが、それらがさらに年輪を重ねて立派に育っていました。
ロンドン在住中は、住まいから150mほど北に向かうとケンジントンロードがあり、それを渡るとハイドパークという位置関係にありました。毎週末には、この公園内を1時間ほどジョギングをして、溜まったストレスを吹き飛ばし、次に備えて充電していました。
四季の変化を楽しみながら自分にとって最も快適な速度で走ります。これで一週間大丈夫、と自己暗示にかけているようでした。
時あたかも、1987〜1989年、バブルの頂点の時期です。バブルに突進する本社からのプレッシャーと、現実に直面して、これはヤバイと感じる自分との間には大きなギャップがありました。ストレスは最高潮に達していました。
ジョギングの効用が最も大きかった時期です。

私がジョギングをしていたのは、ウイークエンドのことで、ウイークデイにこの公園をに訪れたことはありませんでした。
今回は、ウイークデイの午前中のことで、この日のハイドパークは、人も少なく、初秋の風情に満ちていました。ジョギングも良かったが、このようにゆっくり散策するのも素晴らしいことだと感じました。
ビジネス戦争に明け暮れていた当時は50歳前後、今は人生の残りを考える70歳代前半、環境の受け止め方も変わってくることを実感しました。

かつて、自分を癒してくれた空間をを、再び訪れることが出来て幸せだと思いました。
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| | 13:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
外国人が圧倒するロンドン中心街
送信者 シャンブル
(ロンドン クルムウエルロードにて)
8/28日、ベルリンから帰国するクール・ドゥ・シャンブル一行と別れて、一週間の滞在予定で、懐かしいロンドンに回りました。
私は16年ぶり、妻は22年ぶりです。

ホテルは、昔住んでいたEnnismore Gardens(ハイドパーク プリンスゲートから南に150m入った辺り)から遠くない地下鉄グロスターロード駅の近くにとりました。
ホテルに落ち着くと、一息入れて、早速Ennismore Gardensに向かいました。
住宅は7軒のテラスハウス(5階建ての長屋で、各戸にエレベータがある)で、我が家が使っていた部分は改修中のため、足場やテントが張ってありました。誰かが住んでいるところを外からでも見たかったので、やや残念な気持ちでしたが、周辺の雰囲気があまり変わっていないのには救われた気持ちがしました。

ロンドンの中心街は、外国人だらけでした。
22年前、私たちが暮らしていた頃も、休日などは観光客が満ちあふれていましたが、今や、休日と言わず、毎日がそのようです。
英語が聞こえません。中近東の人たち、中国からの観光客、東欧の人たちなどがそれぞれの言葉を大声で話しています。他人にドンドンぶつかられます。昔は、他人の体に触れることに細心の注意をつかっていた社会でしたが、観光客にはそのような配慮はありません。
他人にぶつかってしまった時には、必ず
「I'm sorry!」「Sorry!」
などの言葉が聞こえたものですが、そのような言葉も聞こえませんでした。

中近東と思われる人たちが増えました。定住者も観光客もそれぞれ増えたのでしょう。
有名な百貨店ハロッヅ(オーナーはエジプト人で故ダイアナ妃のパトロン)をはじめ、中近東の人が経営する店も多いようで、売り手も買い手もアラブ人という光景が目につきました。
夜になると、アラブの人たちは、男だけで連れ立って歩くことが多く、道ばたのカフェなどに若い男が数人でたむろしていると、思わずよけて通ってしまいます。
女の人は、目だけしか出していない人から、ファッショナブルな花模様のものをスカーフのように着こなしている人まで様々でした。多様なイスラム教徒が共存している姿はロンドンならではの光景ではないではないでしょうか。
ふと9/2(金)にハロッヅの前を通ると休日でした。イスラム教の休日は金曜日であることを思い出しました。
もはや、ハロッヅの近くからナイツブリッジにかけては、イスラム教圏ではないかとすら思えます。

中国人が増えました。定住者と思われる落ち着いた立ち振る舞いの人から、団体旅行の粗野な人まで幅広い中国人が見られます。
地下鉄の中で、中国人と思われる青年から席を譲られました。立派な青年でした。
ロンドンの中国人を見ていて、中国という国は今後どうなるか分かりませんが、中国人は世界各地で確実に力を持ってくるのではないかと感じました。

恐らく、ビジネスの中心地シティでも、私が働いていた頃からそうでしたが、外国資本、外国人の活躍が益々大きくなっていることでしょう。
いわゆるウインブルドン現象は、英国経済全般にわたってさらに進行しているのではないでしょうか。
外国人を活躍させて、英国経済を維持している国家経営力は相当なものです。
現在でも、英国国債は、独、仏と並んでAAAの評価を維持しています。
日本も、このような道を歩むのでしょうか、それとも別の道を見いだすのでしょうか。
| | 16:35 | comments(2) | trackbacks(0) |
ドイツの豊かな田園、自然エネルギー
送信者 シャンブル

フランクフルトからベルリンまでは、すべてバスと鉄道の旅でした。
車窓からは、うらやましい限りの美しい田園風景が続きます。フラットで、小麦やジャガイモの畑が大部分ですが、乳牛や馬の牧場も混じります。道路には街路樹が植えられ、遠くから観るとそれがアクセントとなって、田園交響曲そのものです。
フランスやイギリスでも感じていましたが、山岳に覆われた我が国土に比較して、見るからに生産力の大きさを感じます。
帰国して気づいたのですが、残念なことに、その美しい田園風景の写真を一枚も撮っていませんでした(涙)。

その中に、時折、集落の近くに風力発電の装置を見かけました。5基、10基、15基程度のユニットが多かったと思います。
美しい田園風景の中に、違和感を感じると共に、初めて見る光景にエキゾチックなものを感じました。
写真は、ライプツイッヒからベルリンへの途中で見かけた工場(別の写真に写った看板によると、ドアやエクステリアを作っているようです)とその風力発電プラントです。
日本にもすでに稼働しているものがあるそうですが、1基の根元の直径は2M以上あるのではないかと思います。それほど電力を使うとは思えない工場ですが、工場の風景はこのようになります。

この旅行中に見かけた風力発電のプロペラは、1基を除いて、すべて適当なスピードで回転していました。恐らく、例外の1基は、故障か修理メンテナンス中だったのでしょう。
穏やかで、一定方向の適当な風力が安定的に吹いていることが分かります。
オランダ、スペインなども風力発電大国だそうですが、昔見たオランダの風車の風景やドンキホーテの物語に出てくる風車など、ヨーロッパでは、昔から、人々の生活は風力と縁が深かったことを思い出しました。

帰国して、天気予報を注意してみていると、日本の風向きは複雑です。一定方向の適当な穏やかな風が期待できる地域は限られてくるでしょう。
プラントを作る場所も必要です。
地震大国、台風大国の日本では、相当頑強なプラントが要求されるでしょう。雨の多い日本では、メンテナンスはヨーロッパ以上に手厚くする必要がありそうです。
平地の面積は、大雑把に計算して、日本はドイツの5分の1程度です。その中に、ドイツの1.5倍の人口と産業、農業など生活の全てが詰め込まれています。
自然エネルギーにしても、ドイツと日本の条件が大きく違うことを実感した次第です。
ドイツの豊かさを感じました。
| | 16:40 | comments(6) | trackbacks(0) |
もしかしたら最後かなと思いながらドイツ、イギリスへの旅


(EUの拡大 Wikipediaより)

夏の甲子園では、西東京代表の日大三校が、圧倒的な強さを見せて優勝しました。
今月初めに、巨人のふがいなさを嘆いたものですが、その巨人が、ようやく強さを見せ始めました。少しは溜飲を下げていますが、本格的なものかどうかは、もう少し見ないと分かりません。
そして、何よりもつらかった異常な暑さが、急に引いて秋風が吹き出しました。これで体が大分楽になりました。来週に入ると、また残暑がぶり返すそうですが、取り敢えずホッとさせていただいております。

明日から、妻とともに所属する混声合唱団クール・ドゥ・シャンブルの有志20名で、J.S.BACH縁のアイゼナッハ、ライプチッヒ、ドレスデンに出かけます。
前回のヨハネ受難曲に引き続いて、マタイ受難曲の来年2月の演奏会を控えて、バッハ縁の教会で、コラールを中心に歌わせてもらい、バッハの音の環境を体験しようという試みです。指揮者の小泉明子先生以下、S6、A6、T3、B5のバランスのとれた人数で出かけますから、きっと素晴らしいアンサンブルを経験できるのではないかと期待しています。

合唱団は、29日には帰国しますが、折角ドイツまで行くのなら、ということで昔仕事で駐在していたロンドンに一週間ほど滞在します。私は16年ぶり、妻は22年ぶりになります。
ロンドンがどのように変わったのか、あるいは変わらないのか、それを見るのが楽しみです。

ライプチッヒなど旧東ベルリン以外の旧東ドイツにはいるのも初めてです。私がロンドン駐在から帰国して一月もたたないうちにベルリンの壁が壊されました。
それまでは、ドイツには何度も行きましたが、それは旧西ドイツで、旧東ドイツに入ることには、制約がありました。それでも、東ドベルリンには何度か入りましたが。
その意味でも、ドイツの旅も楽しみにしています。

猛暑の中、旅行準備をしていて、手際が大分悪くなっている自分たちを発見しました。
旅行そのものは楽しみですが、ヨーロッパ旅行にはそれなりの体力が求められます。もしかしたら、最後のヨーロッパになってしまうかもしれないな、なんて考えています。

パソコンも、携帯も持参しないことにしました。
ということで、その間、このブログの更新も休ませていただきます。
JUGEMテーマ:旅行


| | 21:23 | comments(2) | trackbacks(0) |
法事で鶴岡市まで
送信者 橘フォト5
(山形県鶴岡市湯野浜温泉の落日)
縁戚の法事に招かれ、鶴岡市を初めて訪れました。
長年の親しい友人が、同市に縁があり、色々と話を聞いていました。
その上、長男の嫁の両親が同市の出身で、ぐっと身近に感じるようにはなっていましたが、これまでは訪れる機会がありませんでした。

宿泊は、湯野浜温泉で唯一浜辺に立っている愉海亭「みやじま」をとってもらいました。
写真は、部屋のガラス越しの写真です。
学生時代、秋の深浦で見た夕日は素晴らしかったことを覚えていますが、まだ夏とはいえ、日本海に沈む夕日は一味違います。

残念ながら、市内観光に時間が採れませんでしたが、旅館から近い「加茂水族館」だけは訪れてみました。
この水族館は、日本でも一、二を争う古い施設だそうですが、今や、クラゲを集めた水族館として、全国に知られています。私も、TVで見て知っていました。
夏休みの土曜日ということもあり、家族連れで一杯でした。

法事は、四十九日日の法要と納骨でしたが、これを機会に親族が集まり、懇親する姿に、今なお素晴らしいコミュニティが存在していることを知りました。
驚いたことは、会食に出された食事の量です。
通常の仕出し弁当の他に、その数倍のボリュームの肴だけを詰めた弁当スタイルのものが出されました。空けてみると、立派な料理がビッシリと詰まっています。持ち帰りにしようと決めましたが、大きなパッケージに入っているので、妻の分を併せて、二人分はとても持てません。失礼して、一人分だけ持ち帰ることにしました。
引き出物の和菓子と合わせて、重く、平たい大きな荷物が増えてしまいましたが、ようやくのこと自宅まで持ち帰りました。
帰宅して、遅い夕食にその一部をいただきましたが、この料理の味は格別でした。十分に吟味された材料を使ってしっかりと調理されたもので、どれも逸品でした。
残りをいただくのが楽しみです。
| | 13:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
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